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元朝皇室
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
元朝皇室
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モンゴル帝国・元朝の[[各国の王皇室|皇室]]。始祖は[[チンギスハン]]。元朝を開いた[[フビライ]]は[[チベット仏教]][[サキャ派]]の[[パスパ]]を重用して[[帝師]]に任命。以後、モンゴル人など遊牧民族にチベット仏教が広がった。首都は[[北京]](大都)で、現在の北京の都市の基盤を築いた。オゴタイは「ハン位」の上位に「ハーン位」を設け、中華王朝としての元朝が滅びた後もモンゴル帝国の皇帝の称号として使われた。モンゴルを下した満洲民族のホンタイジは「ハーン位」を継ぎ、歴代の[[清朝]]皇帝に受け継がれたとされる。 元朝皇室は[[陵墓]]祭祀は積極的でなく、中華王朝としては極めて異例である。[[起輦谷]]という地に葬られたというが場所不明。あえて秘密にした形跡もあり、いずれの皇帝も陵墓のありかは明らかになっていない。祖先祭祀の中心になったのはチンギスハンの霊廟である[[八白宮]]である。移動式の霊廟だったが、第二次大戦後、中国国民党によって恒久的な霊廟([[オルドスのチンギスハン廟]])が建てられた。 ==テングリ祭祀== モンゴルの在来の宗教の[[テングリ信仰]]に基づく祭祀が行われた。中でも「酒馬妳子」という祭典がもっとも重視された。 ==神祇祭祀== 中華王朝として伝統的な国家祭祀を行ったが、積極的ではなかった。 *南郊 *岳涜 *社稷 ==霊廟祭祀== *[[宗廟_(元朝)]]:北京にあった。1263年、フビライが創建。 *[[八白宮]]: ==儒教政策== ==仏教政策== 仏教を国教とした。 ==道教政策== ==歴代== *名前の音写は諸説ある。 *代数については諸説あるようだ。 *世界人名辞典、Wikipedia日本語版、Wikipedia中国語版などを参照 {|class="wikitable" |+ !style="width:4%;"|蒙古 !style="width:4%;"|元朝 !style="width:10%;"|名前 !style="width:8%;"|生没年 !style="width:8%;"|在位年 !style="width:6%;"|廟号 !style="width:20%;"|漢風諡号・漢風尊号 !style="width:10%;"|モンゴル風尊号 !style="width:30%;"|略歴 |- |追尊 |追尊 |イェスゲイ<br>(也速該) |?-1171 |--- |烈祖 |神元皇帝 | | |- |1 |追尊 |[[チンギスハン]]<br>(成吉思汗) |1167-1227 |1206-1227 |太祖 |法天啓運聖武皇帝 | |モンゴル帝国の初代カーン(皇帝)。イェスゲイの長男。テムジン(鉄木真)。[[チンギスハン陵]]の場所は不明。祭祀は[[八白宮]]で行われた。 |- |追尊 |追尊 |トルイ<br>(〓雷) |1190?-1232 |--- |睿宗 |英武皇帝<br>景襄皇帝<br>仁聖景襄皇帝 | |チンギスハン第四皇子。末子。[[トルイの白宮]]があった。 |- |2 |追尊 |オゴタイ<br>(斡闊台) |1186-1241 |1229-1241 |太宗 |英文皇帝 | |チンギスハンの第三皇子。金朝を滅亡。[[カラコルム]]を建設。南宋とロシアに遠征軍を送り版図を拡大。オゴデイ。 |- |3 |追尊 |グユク<br>(貴由) |1206-1248 |1246-1248 |定宗 |簡平皇帝 | |オゴタイの第一皇子。バトゥの遠征に従うが対立。バトゥに暗殺されたとも。 |- |4 |追尊 |モンケ<br>(蒙哥) |1209-1259 |1251-1259 |憲宗 |桓粛皇帝 | |トルイの王子。バトゥに擁立された。 |- |対立 |対立 |アリクブケ<br>(阿里不哥) |1219-1266 |1260-1264 | | | |トルイの第六王子(第七王子とも)。フビライが先に即位し、対抗して即位するが投降する。皇帝として数えられていないようだが、即位の正統性はあったと考えられている。 |- |5 |1 |[[フビライ]]<br>(忽必烈) |1215-1294 |1260-1271 |世祖 |聖徳神功文武皇帝<br>憲天述道仁文義武大光孝皇帝 |セチェンハーン<br>(薛禅汗) |元朝の初代皇帝。トルイの第四王子。アリクブケと帝位を争う。元号「中統」を初めて採用。[[大都]](北京)を建設。[[チベット仏教]][[サキャ派]]の[[パスパ]]を[[帝師]]に任命し、以後モンゴル人はチベット仏教に帰依する。パスパ文字を制定。大元の国号を制定。 |- |追尊 |追尊 |チンキム<br>(真金) |1243-1285 |--- |裕宗 |文恵明孝皇帝 | |フビライの第二皇子。皇太子で没する。 |- |6 |2 |テムル<br>(鉄穆耳) |1265-1307 |1294-1307 |成宗 |欽明広孝皇帝 |オルジェイトゥハーン<br>(完者篤汗) |チンキムの第三王子。 |- |追尊 |追尊 |ダルマバラ<br>(答剌麻八剌) |1264-1292 |--- |順宗 |昭聖衍孝皇帝 | |チンキムの第二皇子。 |- |7 |3 |カイシャン<br>(海山) |1281-1311 |1307-1311 |武宗 |仁恵宣孝皇帝<br>統天継聖欽文英武大章孝皇帝 |クルクハーン<br>(曲律汗) |ダルマバラの第一王子 |- |8 |4 |アユルバルワダ<br>(愛育黎抜力八達) |1285-1320 |1311-1320 |仁宗 |聖文欽孝皇帝 |ブヤントハーン<br>(普顔篤汗) |ダルマバラの第二王子。武宗カイシャンの弟。 |- |9 |5 |シデバラ<br>(碩徳八剌) |1303-1323 |1320-1323 |英宗 |睿聖文孝皇帝<br>継天体道敬文仁武大昭孝皇帝 |ゲゲーンハーン<br>(格堅汗) |アユルバルワダの第一皇子。暗殺された。 |- |追尊 |追尊 |カマラ<br>(甘麻剌) |1263-1302 |--- |顕宗 |光聖仁孝皇帝 | |チンキムの王子。晋王。 |- |10 |6 |イェスンテムル<br>(也孫鉄木児) |1293-1328 |1323-1328 | |(泰定帝) | |カマラの第一王子。死後内乱が続く。 |- |11 |7 |アリギバ<br>(阿里吉八) |1320-1328 |1328-1328 | |(天順帝) | |イェスンテムルの第一皇子。 |- |12 |8 |トクテムル<br>(図帖睦爾) |1304-1332 |1328-1329 |文宗 |聖明元孝皇帝<br>欽天統聖至徳誠功大文孝皇帝 |ジャヤガトゥハーン<br>(札牙篤汗) |カイシャンの第二皇子。エルテムルが擁立。兄に譲位するもすぐに復位する。 |- |13 |9 |コシラ<br>(和世〓) |1300-1329 |1329-1329 |明宗 |翼献景孝皇帝<br>順天立道睿文智武大聖孝皇帝 |クトゥクトゥハーン<br>(護都篤汗) |カイシャンの第一皇子。トクテムルの兄。エルテムルに暗殺されたという。 |- |復位 |復位 |トクテムル<br>(図帖睦爾) |1304-1332 |1329-1332 |文宗 |聖明元孝皇帝 |ジャヤガトゥハーン<br>(札牙篤汗) |復位。 |- |14 |10 |イリンジバル<br>(懿〓質班) |1326-1332 |1332-1332 |寧宗 |冲聖嗣孝皇帝 | |コシラの第二皇子。 |- |15 |11 |トゴンテムル<br>(妥懽帖睦爾) |1320-1370 |1333-1370 |恵宗 |宣仁普孝皇帝<br>順皇帝 |ウカアトハーン<br>(烏哈〓図汗) |コシラの第一皇子。リンチンバルの兄。紅巾の乱が起こる。上都を逃れる。 |- |16 |12 |アユルシリダラ<br>(愛猷識理達臘) |1340-1378 |1370-1378 |昭宗 |武承和孝皇帝 |ビリグトゥハーン<br>(必浬剋図汗) |北元の初代皇帝。トゴンテムルの第一皇子。 |- |17 |13 |トグステムル<br>(脱古思帖木児) |1342-1388 |1378-1388 |(末主) |(天元帝) |ウスハルハーン<br>(烏薩哈爾汗) |アユルシリダラの弟、または皇子。 |} ===北元=== *18イェスデル()<1388-1391>:ジョリクト・ハーン。也速迭児。 *19エンケ()<1391-1394>: *20エルベク()<1394-1399>:ニグレスクチ・ハーン。額勒伯克 *21クン・テムル()<1399-1402>:トゴーン。コケ・テムル。坤帖木児 *22オルク・テムル()<1402-1408>:鬼力赤。 *24オルジェイ・テムル()<1408-1412>:オロイ・テムル。完者禿。本雅朱里 *24ダルバク()<1412-1415>:答里巴。 *25オイラダイ()<1415-1425>:エセク・ハーン。 *26アダイ()<1425-1438>:阿台 *27トクトア・ブハ()<1438-1452>:タイスン・ハーン。脱脱不花。 *28アクバルジ()<1452-1453>:アブガルジン。阿八丁王。 *29エセン()<1453-1454>:オイラトの首長。チンギスハーンの男系子孫ではないのにも関わらずハーン位に即位した。明朝の英宗正統帝を捕縛したことで知られる。也先。大元天盛大可汗。 *30マルコルギス()<1455-1465>:ウケクト・ハーン。馬児苦児吉思、麻馬児可児吉思、麻児可児、馬可古児吉思、馬古可児吉思 *31モーラン()<1465-1466>:ムラン・ハーン。 *32マンドゥールン()<1475-1479>:マンドグル・ハーン。満都魯。満都古勒汗。 *33ボルフ・ジノン()<1480-1487>:孛羅忽、伯顔猛哥王。バヤン・モンケ・ボルフ晋王。 *34ダヤン・ハーン()<1487-1524>:モンゴルを再統一した。バトゥ・モンケ。達延汗。 *35バルス・ボラト()<1524-1524>:賽那剌。 *36ボディ・アラク()<1524-1547>: *対立アルタン・ハーン()<>:ダライスンと和睦して「ゲゲン・ハーン」位を授けられた。 *37ダライスン・ゴデン()<1548-1557>: *38トゥメン()<1558-1592>: *39ブヤン()<1593-1603>: *40リンダン()<1603-1634>:林丹汗、虎墩兔。 *41エジェイ()<1634-1635>:額哲孔果爾。エルケ・ホンゴル・ハーン。後金(清朝)のホンタイジに敗れて、元朝以来の伝国璽(ハスボー・タムガ)を献上し、ハーン位は清国皇帝に継承されることとなった。
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