ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

元興寺東塔院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年7月28日 (土)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
(?歴史)
 
(間の1版分が非表示)
1行: 1行:
 +
'''元興寺東塔院'''(がんごうじ・とうとういん)は、奈良県奈良市にある[[南都仏教]]寺院。本尊は[[弥勒菩薩]]。[[元興寺極楽坊]]、[[元興寺小塔院]]と共に古代[[元興寺]]を継承する3カ寺の一つ。[[単称華厳宗]]で[[東大寺]]末。現在の正式名称は'''元興寺'''。[[元興寺関連旧跡]]。
 +
 +
== 歴史 ==
 +
古代[[元興寺]]の東塔院と観音堂(中門堂)を起源とし、五重塔があった。
 +
中世、両堂を中心とする寺院として再編された。極楽坊と小塔院は鎌倉時代には独立寺院となっているので同じ頃だろうか。
 +
室町時代、「元興寺別当」の役職には東大寺僧が任命されていたのでその流れを汲んで東大寺末となっているのかもしれない。
 +
慶長7年(1602)、徳川家康から朱印地50石を与えられた。
 +
安政6年(1859)2月28日、五重塔と観音堂は焼失した。昭和2年に発掘調査されている。
 +
 +
[[category:奈良県]]
[[category:奈良県]]

2018年7月28日 (土) 時点における最新版

元興寺東塔院(がんごうじ・とうとういん)は、奈良県奈良市にある南都仏教寺院。本尊は弥勒菩薩元興寺極楽坊元興寺小塔院と共に古代元興寺を継承する3カ寺の一つ。単称華厳宗東大寺末。現在の正式名称は元興寺元興寺関連旧跡

歴史

古代元興寺の東塔院と観音堂(中門堂)を起源とし、五重塔があった。 中世、両堂を中心とする寺院として再編された。極楽坊と小塔院は鎌倉時代には独立寺院となっているので同じ頃だろうか。 室町時代、「元興寺別当」の役職には東大寺僧が任命されていたのでその流れを汲んで東大寺末となっているのかもしれない。 慶長7年(1602)、徳川家康から朱印地50石を与えられた。 安政6年(1859)2月28日、五重塔と観音堂は焼失した。昭和2年に発掘調査されている。

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%85%83%E8%88%88%E5%AF%BA%E6%9D%B1%E5%A1%94%E9%99%A2」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール