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光照院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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光照院門跡とその中にある恵聖院(国土地理院空中写真より)

光照院(こうしょういん)は、京都府京都市上京区にある浄土宗尼門跡寺院浄土宗知恩院派特別寺院。光照院門跡安楽光院常盤御所。山号は仏日山。

目次

歴史

1356年(正平11年/延文1年)、自本覚公が創建。最初は室町一条北にあった。1788年(天明8年)の大火のあと、持明院跡に再建。一時期は安楽光院と称したらしい。四宗兼学だったが1873年(明治6年)浄土宗別格寺院となる。1925年(大正14年)2月13日、三時知恩寺・得浄明院・善光寺大本願と共に特別寺院に指定。1969年(昭和44年)9月29日、改めて三時知恩寺、得浄明院と共に特別寺院に指定。2006年(平成18年)、浄土宗知恩院派から離脱して単立となるが、2015年(平成27年)復帰。(新纂浄土宗大辞典ほか)

境内にある恵聖院は元は宝鏡寺あたりにあった。

組織

住職

  • 自本覚公(生没年不詳)<1356->:後伏見天皇皇女。進子内親王。
  • 月山尊久(?-1457)<>:足利義満の娘。1457年(長禄1年)4月20日死去。光照院と号す。
  • 尼公()<>:近衛植家の娘。
  • 秀山尊性(?-1569)<>:1569年(永禄12年)6月11日死去。
  • 松山尊英女王(?-1611)<>:後陽成天皇皇女。1611年(慶長16年)4月7日死去。
  • 鎮山潮誉尊貞(?-1627)<>:近衛前久の娘。1627年(寛永4年)4月7日死去。
  • 崇山玉誉尊清女王(1613-1669)<>:後陽成天皇皇女。1669年(寛文9年)3月4日死去。
  • 心月尊蓮女王(?-1632)<>:後陽成天皇皇女。1632年(寛永9年)7月2日死去。「喝食」とあるので夭折か。受教院宮。
  • 脱山真誉瑞慶尊賀女王(1654-1683)<>:後水尾天皇皇女。円照寺門跡に移る。1683年(天和3年)6月1日死去。30歳。文察女王。宝池光院宮。
  • 雲山尊玉女王(1672-1677)<>:後西天皇皇女。1677年(延宝5年)9月7日死去。6歳。放光院宮。
  • 大規尊杲女王(1675-1719)<>:中興。後西天皇皇女。1686年(貞享3年)清浄華院雲龍から受戒(新纂浄土宗大辞典)。初名は尊慶。1719年(享保4年)10月25日死去。45歳。
  • 大舟尊梁女王(1711-1731)<>:京極宮文仁親王王女。霊元天皇猶子。1731年(享保16年)7月24日死去。円明珠院宮。
  • 大融尊乗女王(1730-1789?)<>:中御門天皇皇女。1730年(享保15年)生。二品。1789年(寛政1年)3月7日死去(1788年とも)。
  • 無上覚院宮(1826-1827)<>:光格天皇皇女。1826年(文政9年)9月27日生。1827年(文政10年)5月7日死去。

無上覚院宮まで『比丘尼御所諡号考』[1]

住職(近代)

  • 万里小路皎堂()<>:
  • 広橋聖瑞()<>:
  • 大宮智栄(1885-1984)<1938->:善光寺大本願119世。1938年(昭和13年)から光照院門跡を兼務。
  • 日野西徳宝(1890-1967)<-1957->:子爵日野西光善の八女。浄土宗尼衆学校校長。1900年(明治33年)、興福院広橋聖海に師事。1919年(大正8年)大本願副住職。1925年(大正14年)浄土宗尼衆学校2代校長。1967年(昭和42年)4月2日死去。(新纂浄土宗大辞典)
  • 一条智光(1907-2000)<1968->:善光寺大本願120世。
  • 山田浄香()<>:
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%85%89%E7%85%A7%E9%99%A2」より作成

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