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全良寺官修墳墓
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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'''全良寺官修墳墓'''は秋田県秋田市八橋の[[臨済宗]]全良寺にある[[官修墳墓]]。「戊辰役官軍戦死者・薩長など17藩256柱」を祀る。'''全良寺官修墓地'''。 ==歴史== *1868年(明治1年):寿量院([[秋田東照宮]]別当)が野戦病院となり、多数の戦傷死者が出て、全良寺に葬られた。(秋田市の文化財[https://dl.ndl.go.jp/pid/2515849/1/14]) *1876年(明治9年):全良寺住職の大内海山が墓碑の建立を発願。石工の辻源之助の協力を得て整備。(秋田市の文化財) *1895年(明治28年):墓碑が完成。523基を建立。官修墳墓となる。桜の名所となる。(秋田市の文化財)忠魂祭の古写真[https://dl.ndl.go.jp/pid/9571394/1/26]。 *1915年(大正4年):鹿児島藩合葬碑を建立。(秋田市の文化財) *1937年(昭和12年):秋田県[[社寺兵事課]]が石垣、敷石などを大修理して供養碑を建立。(秋田市の文化財) *1959年(昭和34年):この頃で265基に減少。(秋田市の文化財) *1966年(昭和41年)3月30日:秋田市指定史跡となる[https://dl.ndl.go.jp/pid/3019552/1/543]。 *1968年(昭和43年)6月4日:史跡整備完成[https://dl.ndl.go.jp/pid/2988668/1/50] ==被葬者== 当初は523基。うち秋田藩378基(秋田市の文化財)。1959年(昭和34年)頃には265基に減少。 ==資料== *「羽州秋田八橋全良寺官軍戦死墳墓之図」:秋田県公文書館。「羽州秋田矢橋全良寺官軍戦死墳墓之図」とも。目録[https://dl.ndl.go.jp/pid/1686327/1/623] *「秋田藩士」[https://dl.ndl.go.jp/pid/763198/1/308] *「諸藩戦死姓名」[https://dl.ndl.go.jp/pid/763198/1/316] *「全良寺開基及官軍墓地録事」[https://dl.ndl.go.jp/pid/763198/1/323] *渡辺金造「秋田市八橋全良寺の墓地について」:秋田郷土史資料第3集 *池田憲和2015「戊辰戦争の遺跡全良寺官修墓地について」『出羽路』155 [[category:秋田県]]
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