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八幡・円福寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年10月29日 (日)

円福僧堂から転送)
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円福寺(えんぷくじ)は、京都府八幡市八幡福禄谷(山城国綴喜郡)にある臨済宗寺院。本尊は釈迦如来。臨済宗妙心寺派専門道場円福僧堂石清水八幡宮社務田中家伝来の達磨像を祀り信仰を集めることから達磨堂達磨寺とも呼ばれる。石清水八幡宮関連旧跡。(参考:同名寺院円福寺

目次

歴史

  • 1783年3月24日:白隠門下の斯経慧梁、田中家より達磨像を譲り受ける。達磨像は大和・達磨寺にあったものという。
  • 1783年6月:浅井周斎より土地の寄進を得る
  • 1784年9月1日:達磨堂落慶。85年とも。
  • 1786年12月8日:妙心寺末に編入
  • 1787年1月23日:斯経慧梁、死去。
  • 1928年:高松宮より寄進され有栖川宮旧御殿を移築。
  • 1991年:山門再建
  • 2003年:稲盛和夫と京セラの寄進で本堂と庫裡を再建
  • 2012年:禅堂・達磨堂を再建

組織

歴代住職

  • 南浦紹明(1235-1308)<>:勧請開山
  • 斯経慧梁(1722-1787)<1784->:白隠の弟子。勅諡は扶宗大綱禅師。
  • 海門禅恪(1743-1813)<1798->:妙心寺440世。提洲禅恕の法嗣。1798年、円福寺に入る[1]。勅特賜、円通妙覚禅師。
  • 春叢紹珠(1751-1835)<1814-> :妙心寺470世。遂翁元盧の法嗣。阿波慈光寺9世。1814年、円福寺住職[2]
  • 海山宗恪(1769-1846)<>:妙心寺490世。卓洲胡僊の法嗣。臨済寺住職。仏国妙厳禅師。
  • 石応宗珉(1794-1857)<>:妙心寺505世。卓洲胡僊の法嗣。天恩寺住職。
  • 蘇山玄喬(1799-1868)<1857->:妙心寺535世。卓洲胡僊の法嗣。徳源寺開山。
  • 伽山全楞(1824-1893)<>:大徳寺482世。大徳寺派管長3代。蘇山玄喬の法嗣。河野伽山。
  • 葆林義南(1847-1898)<1893->:河野葆林。
  • 14宗般玄芳(1848-1922)<1898->:見性宗般。大徳寺486世。大徳寺派5代管長。伽山全楞の法嗣。1898年(明治31年)円福寺に住す。

円福僧堂歴代師家

  • 徹宗智性(1879-1937)<1922-1937>:神月徹宗。妙心寺606世。管長16代。1922年(大正11年)から1937年(昭和12年)まで円福僧堂師家。
  • 寛州宗潤(1895-1954)<1937-1954>:井沢寛州。妙心寺626世。徹宗智性の法嗣。1937年(昭和12年)から1954年(昭和29年)まで円福僧堂師家。海清僧堂師家。
  • 玄峰宜雄(1866-1961)<1954-1955>:山本玄峰。妙心寺632世。管長21代。宗般玄芳の法嗣。1954年(昭和29年)から1955年(昭和30年)まで円福僧堂師家。
  • 湘山宗忍()<1955-1958>:土岐湘山。1955年(昭和30年)から1958年(昭和33年)まで円福僧堂師家。
  • 茂林宗鶴(1891-1974)<1958-1971>:通山宗鶴。松蔭寺17世。1958年(昭和33年)から1971年(昭和46年)まで円福僧堂師家。
  • 義保担雪(1922-2006)<1971-1998>:西片担雪。妙心寺670世。管長31代。1971年(昭和46年)から1998年(平成10年)まで円福僧堂師家。海清僧堂師家。
  • 加藤月叟(?-2020)<1998-2020>:加藤月叟。1998年(平成10年)から円福僧堂師家。海清僧堂師家。
  • 政道徳門()<>:

画像

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