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剣璽渡御の儀関連旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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(ページの作成:「元は即位式と一体だったが、独立。 践祚の儀に剣璽渡御。平城天皇から制度化していく。 践祚とは別に桓武天皇大嘗祭、平...」) |
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践祚とは別に桓武天皇大嘗祭、平城天皇大嘗祭、仁明天皇大嘗祭でも行われたがその後は廃絶。 | 践祚とは別に桓武天皇大嘗祭、平城天皇大嘗祭、仁明天皇大嘗祭でも行われたがその後は廃絶。 | ||
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+ | 直木孝次郎によると、神器渡御が即位に関わるようになったのは孝徳天皇以降という。 | ||
+ | 天智天皇から天武天皇までは鏡剣玉の三種が、持統天皇以降は鏡と剣の二種が使われた。 | ||
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+ | 黛弘道によると、斎部氏は鏡と剣の二種、中臣氏は三種としたのではとする。 | ||
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+ | 鏡が神格化され、祀られるようになるのは10世紀以降。 |
2019年2月1日 (金) 時点における版
元は即位式と一体だったが、独立。
践祚の儀に剣璽渡御。平城天皇から制度化していく。
践祚とは別に桓武天皇大嘗祭、平城天皇大嘗祭、仁明天皇大嘗祭でも行われたがその後は廃絶。
直木孝次郎によると、神器渡御が即位に関わるようになったのは孝徳天皇以降という。 天智天皇から天武天皇までは鏡剣玉の三種が、持統天皇以降は鏡と剣の二種が使われた。
黛弘道によると、斎部氏は鏡と剣の二種、中臣氏は三種としたのではとする。
鏡が神格化され、祀られるようになるのは10世紀以降。