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双林寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
双林寺
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[[ファイル:Sdre-040.JPG|thumb|350px]] '''双林寺'''(そうりんじ)は、京都府京都市東山区鷲尾町にある[[天台宗]]寺院。本尊は薬師如来。元は[[時宗国阿派]]の拠点寺院だった。[[天台宗延暦寺派]]。[[京都・長楽寺]]の西南、[[大谷祖廟]]の西、円山音楽堂の東、[[高台寺]]の北にある。'''法華三昧無量寿院'''。'''沙羅双樹林寺'''。'''東山道場'''。山号は金玉山、霊鷲山。 [[file:Kokudo0126.jpg|thumb|300px|大谷祖廟周辺と双林寺(国土地理院空中写真より)]] == 歴史 == [[ファイル:Sdre-041.JPG|thumb|350px|]] [[最澄]]が創建したと伝える。805年(延暦24年)、[[桓武天皇]]が寄進し、唐から請来した経典を安置した。 823年(弘仁14年)[[延暦寺]]の別院となる。 永治年間に[[鳥羽天皇]]皇女が、1196年(建久7年)に[[土御門天皇]]皇子の静仁法親王が入寺した。 鎌倉時代末、元弘の乱で焼失。 1384年(元中1年/至徳1年)、住職の勝行が国阿に帰依し、寺を譲った。前年には国阿は[[東山・正法寺]]も受け継いでおり、国阿の法流は両寺で伝えられることになり、やがて本末争論も起きた。 [[後小松天皇]]の帰依を得た。 1436年(永享8年)焼失。応仁の乱で焼失。 1585年(天正13年)、[[豊臣秀吉]]が9石を寄進。 1589年(天正17年)、24石とした。 「末寺のない雙林寺がなぜ霊山派とは別に国阿派として独立の一派を立てることができたのか不明である」(金井清光)という。 ==子院== 広大な面積があったがほとんどは円山公園となった。 *妙喜寺:景雲庵 *長喜庵: *勝林院: *蔡華園院: *円頓院: *発心院: *蓮花院: *通玄庵: *松泉庵: *文阿弥: *[[京都・西行庵|西行庵]]:飛地境内。 *[[京都・芭蕉堂|芭蕉堂]]: *門阿弥、閑阿弥、西阿弥、善阿弥、教阿弥、林阿弥(政教中正論) ==組織== ===住職=== 1755年(宝暦5年)12月『別時番帳』より *1国阿()<>: *2円阿()<>: *3珠阿()<>: *4陵阿()<>: *5時阿()<>: *6梵阿()<>: *7其阿()<>: *8厳阿()<>: *9 *10 *11 *12 *13 *14 *15 *16 *17 *18 *19 *20 *21 *22 *23 *24 *25 *26 *27 *28 *29文阿()<>:1755年(宝暦5年)在職。 [[category:京都府]]
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