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叡福寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年5月8日 (日)

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叡福寺金堂

叡福寺(えいふくじ)は、大阪府南河内郡太子町太子(河内国石川郡)にある聖徳太子菩提寺の真言宗寺院。聖徳太子墓がある。本尊は如意輪観音。真言宗単立。聖霊院磯長寺石川寺御廟寺太子堂ともいう。野中寺大聖勝軍寺と共に河内三太子の一つで上之太子と呼ばれる。聖徳太子建立四十六寺の一つ。山号は磯長山、科長山。

目次

歴史

古代

葛城山の西麓にある磯長には陵墓や古墳が集中している。 聖徳太子らの埋葬後、推古天皇が坊舎を建て、724年(神亀1年)、聖武天皇の勅願で伽藍が整備された。 磯長墓は磯長陵または磯長廟と呼ばれ、生母穴穂部間人皇后と、太子妃の膳部大郎女を共に葬る「三骨一廟」の聖地として尊重された。

中世 太子信仰の興隆

平安時代後期から太子信仰が興隆し、その聖地の一つとして天皇貴族や僧侶の参拝が増えた。特に1053年(天喜1年)、『聖徳太子御記文』が発見されて以来、注目を集めるようになった。 1108年(天仁1年)、永暹という僧侶が廟前を臨終の地とした。良忍は参詣し、遺言で墓が叡福寺に建てられた。 承安年間、平清盛が修復。

親鸞は1191年(建久2年)、19歳の時、参詣し、『磯長夢記』を記す。 1192年(建久3年)、慈円が参詣。 1229年(寛喜1年)、証空が参詣。法然の勧めで、叡福寺の遊蓮から天台止観を学んだ。 叡尊は1246年(寛元4年)菩薩戒を502人に授けている。 1286年(弘安9年)、一遍四天王寺参詣後に叡福寺に参籠。 後嵯峨天皇中宮の大宮院(1225-1292)の遺骨が廟前に納められた。 日蓮も訪れたとされる。

1348年(貞和4年)、高師泰の兵が聖徳太子墓の中に乱入して荒らした。 1574年(天正2年)、兵火で焼失。

近世

1603年(慶長8年)、豊臣秀頼が寺領70石を寄進し、江戸時代これを保った。同年11月、後陽成天皇の勅願で聖霊殿を再建した。承応年間、多宝塔再建。1688年(元禄1年)、丹南藩主高木氏が二天門、上の御堂を造営した。 1790年(寛政2年)、東本願寺の乗如が太子墓の内部を拝観。 1732年(享保17年)金堂再建。

近現代

聖徳太子墓が宮内省の管理となる。叡福寺は金剛峰寺末となる。 1950年(昭和25年)3月3日、住職田中法順は高野山真言宗管長を訪ね、各派を超越した存在として聖徳太子顕新運動に取り組むために離脱することを通知して了解がなり、 3月6日、離脱して単立寺院となり登記完了。管主を名乗る。3月28日、独立奉告法要。

(1949年(昭和24年)11月、四天王寺と共に「聖徳三経宗」を設立したとも、(『法隆寺の秘話』)。太子宗を名乗っていたとも(国史大辞典)いうが不詳)。 9月8日、東京高松宮邸光輪閣で叡福寺聖徳太子会の発会式。高松宮総裁。大谷光暢会長、藤田清常任理事。 1952年7月、各宗管長を推戴する一年交代の座主制の導入を決定。

(国史大辞典、日本歴史地名大系)

伽藍

  • 聖徳太子墓(皇室治定)
  • 金堂:本尊は如意輪観音。不動明王と愛染明王。1832年再建。
  • 多宝塔:本尊は釈迦三尊と金剛界大日如来。1652年再建。
  • 聖霊殿:本尊は聖徳太子。太子像は1187年に後鳥羽天皇から下賜された孝養像。「太子十六歳植髪等身像」とも呼ばれる。二歳像も納める。1603年11月、後陽成天皇の勅命で豊臣秀頼が再建。
  • 浄土堂:本尊は阿弥陀三尊。阿弥陀三尊は三骨一廟に比され、空海が99夜にわたり参籠して感得したと伝える。1597年再建。
  • 上御堂:聖徳太子摂政像を祀る。1688年、6代丹南藩主高木正陳が再建。
  • 念仏堂:善光寺如来を祀る。納骨堂を兼ねる。
  • 隔夜堂:本尊は石造阿弥陀如来。南大門の南にある。
  • 二天門:1688年、6代丹南藩主高木正陳が再建。
  • 南大門:1958年再建。
  • 経蔵:
  • 宝蔵:
  • 客殿:
  • 後嵯峨天皇皇后姞子分骨所(皇室治定)
  • 久邇宮邦彦王髪塔(皇室治定外)
  • 弘法大師堂:本尊は空海。
  • 見真大師堂:本尊は親鸞。1912年建立。
  • 良忍塔:良忍の墓
  • 願蓮墓:願蓮は証空が学んだ僧?
  • 歴代住職墓地:
  • 忠禅墓:忠禅は御記文を発見した僧
  • 源頼朝塔:源頼朝の供養塔
  • 平時子塔?
  • 蘇我倉山田石川麻呂墓:仏陀寺古墳
  • 丹南藩主高木家墓地
  • 日蓮参籠記念塔:
  • 忠魂碑

子院など

1720年(享保5年)の時点では寺僧13院、坐方8坊、所司方4軒、下部8軒があったが職掌など不詳。

  • 聖光明院:本尊は大日如来。塔本坊。調子麻呂が太子の菩提を弔り滞在した地という。1688年(元禄1年)までに復興。現存。
  • 東福院:1688年(元禄1年)までに復興。
  • 多聞院:1688年(元禄1年)時点では廃絶。
  • 無量寿院:1688年(元禄1年)までに復興。
  • 往生院:1688年(元禄1年)時点では廃絶。
  • 極楽院:1688年(元禄1年)時点では廃絶。
  • 薬師院:1688年(元禄1年)までに復興。
  • 地蔵院:1688年(元禄1年)時点では廃絶。
  • 地蔵院:1688年(元禄1年)時点では廃絶。
  • 大乗院:1688年(元禄1年)時点では廃絶。
  • 持宝院:1688年(元禄1年)時点では廃絶。
  • 文殊院:1688年(元禄1年)時点では廃絶。
  • 自性院:1688年(元禄1年)までに復興。
  • 西福院:1688年(元禄1年)時点では廃絶。
  • 最勝院:1688年(元禄1年)時点では廃絶。
  • 来迎院:1688年(元禄1年)までに復興。
  • 石塔院:石塔律院。
  • 常光院:本尊は一光三尊仏。1688年(元禄1年)時点では廃絶。
  • 中之坊:1688年(元禄1年)時点では廃絶。
  • 角之坊:1688年(元禄1年)までに復興。
  • 尾崎坊:1688年(元禄1年)時点では廃絶。
  • 宝瓶坊:1688年(元禄1年)時点では廃絶。
  • 石蔵坊:1688年(元禄1年)までに復興。
  • 閼伽井坊:1688年(元禄1年)までに復興。
  • 谷之坊:1688年(元禄1年)時点では廃絶。
  • 安養寺
  • 仏眼寺:
  • 西方院:元は叡福寺末。今は独立した浄土宗寺院。三尼公廟
  • 南林寺:元塔頭。講堂跡という。高野山真言宗。

周辺

組織

住職

戦後は管主と称す。

  • 上田照遍(1828-1907)<1879-1887>:自坊は河内・延命寺。1879年(明治12年)5月21日、叡福寺住職。1887年(明治20年)退任。
  • 九会大恵(生没年不詳)<1887-1892>:自坊は徳島成福寺。1887年(明治20年)1月22日、叡福寺住職。
  • 上田照遍(1828-1907)<1892-1899>:1892年(明治25年)5月、叡福寺住職再任。
  • 杉本孝順(生没年不詳)<1899->:1899年(明治32年)6月24日叡福寺住職。著書『叡福寺縁起』。
  • 田中法順(1892-1977)<>:山口県出身。1892年(明治25年)生。戦後、離脱を実現。座主制を採用する。1977年(昭和52年)8月19日死去。86歳。『河内国上太子磯長山縁起』、『聖徳太子一千三百年御法事記録』。
  • 近藤本昇(?-1992)<1968-1992>:自坊は高野山普門院高野山真言宗宗務総長。1968年(昭和43年)、叡福寺管主。1970年(昭和45年)4月5日晋山式。1972年(昭和47年)10月21日、金剛峰寺執行長・高野山真言宗宗務総長に就任。1992年(平成4年)2月23日死去。83歳。
  • 近藤本龍(1963-)<1992->:1963年(昭和38年)生。1986年(昭和61年)高野山大学卒。新別所で加行。1992年(平成4年)3月12日晋山式。

座主

戦後の一時期、各本山から招いて名誉住職とし座主と称した。

  • 佐伯良謙()<1953>:法隆寺住職。聖徳宗管長。1953年(昭和28年)2月22日、叡福寺座主。
  • 出口常順()<1954>:四天王寺貫首。和宗管長。1954年(昭和29年)2月22日、叡福寺座主2世。
  • 平岡明海()<1955>:東大寺別当。華厳宗管長。1955年(昭和30年)2月20日、推戴奉告法要。
  • 中山玄雄()<1956>:天台座主。1956年(昭和31年)2月23日、叡福寺座主に就任。
  • 近藤本玄()<1957>:金剛峰寺座主。高野山真言宗管長。1957年(昭和32年)か。
  • 倉持秀峰()<1958>:智積院化主。真言宗智山派管長。1958年(昭和33年)4月11日、叡福寺座主晋山式。
  • ?1959
  • ?1960
  • ?1961
  • ?1962
  • 岸信宏()<1963>:知恩院83世。初代浄土門主。1963年(昭和38年)11月、叡福寺座主10世。
  • 藤井日静()<1964>:久遠寺86世。日蓮宗久遠寺派管長。1964年(昭和39年)4月、叡福寺座主11世。(学長藤井日静猊下略年譜)
  • ?1965
  • 大西良慶()<1966>:清水寺貫首。北法相宗管長。1966年(昭和41年)7月、叡福寺座主。

太子会総裁

  • 高松宮()<>:1950年(昭和25年)9月、太子会総裁に就任。翌年の1330年遠忌にむけて。

画像

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%8F%A1%E7%A6%8F%E5%AF%BA」より作成

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