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名古屋東照宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
名古屋東照宮
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[[ファイル:名古屋東照宮・尾張名所図会・拡大1.jpg|thumb|400px|江戸時代の社殿(尾張名所図会)]] '''名古屋東照宮'''(なごや・とうしょうぐう)は、愛知県名古屋市中区にある、[[尾張徳川家]]創建の[[東照宮]]。祭神は徳川家康と徳川義直・徳川慶勝。江戸時代は左に山王権現、右に日光権現を配祀していた。[[県社]]。 ==歴史== *1618年(元和4年):未鎮座のまま東照宮祭礼。 *1619年(元和5年):徳川義直は[[天海]]を招いて父[[徳川家康]]を祀る名古屋東照宮を三の丸に創建。家老成瀬正成・竹腰正信を奉行として造営した。同年9月17日に竣工した。1000石寄進。 *1620年(元和6年):御旅所を[[尾張・若宮八幡社]]の北に設置。 *1688年(元禄1年):徳川光友が重修。 *1786年(天明6年):徳川家霊廟の西霊屋3殿、東霊屋2殿のうち西霊屋2殿と東霊屋1殿を撤去。 *1870年(明治3年)12月:別当寺を廃止。 *1872年(明治5年):徳川家霊廟、撤去。 *1875年(明治8年):徳川義直を合祀。 *1876年(明治9年):名古屋鎮台の設置にともない[[名古屋藩明倫堂]]跡の現在地に遷座した。 *1897年(明治30年):徳川慶勝を合祀。 *1945年(昭和20年):空襲で焼失。 *1953年(昭和28年):高原院廟旧殿を移築して復興した。高原院廟は徳川義直正室の春姫の霊廟で、1651年(慶安4年)[[万松寺]]に建てられ、大正年間、[[建中寺]]に移築されていた。 (日本歴史地名大系ほか) ==境内== [[ファイル:名古屋東照宮・尾張名所図会.jpg|thumb|500px|江戸時代の境内(尾張名所図会)]] *本社: *本地堂:本尊は薬師如来。三菩薩、十二神将、四天王も祀る。廃絶。 *護摩堂:本尊は不動明王。四天王、十二天画像も祀る。 *[[尾張・尊寿院|尊寿院]]:名古屋東照宮の別当寺。天台宗。 *御旅所:名古屋市末広町。 *東漸寺:名古屋市末広町。御旅所別当。本尊は薬師如来・聖天。密厳院末寺。清須にあったが慶長年間、名古屋大津に移転。1660年(万治3年)焼失。旗屋町に移転。のち新鳥頭町に移転。1757年(宝暦7年)1月、東照宮御旅所境内に復興し御旅所別当職となる。明治維新で廃絶。山号は帰命山。(『名古屋市史』[https://www.google.co.jp/books/edition/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%B8%82%E5%8F%B2/iiVYorcRDM8C?hl=ja&gbpv=1&pg=PP1127&printsec=frontcover]) <gallery widths="300" heights="300" perrow="3"> ファイル:名古屋東照宮-01.jpeg| ファイル:名古屋東照宮-02.jpeg ファイル:名古屋東照宮-03.jpeg ファイル:名古屋東照宮-04.jpeg ファイル:名古屋東照宮-05.jpeg ファイル:名古屋東照宮-06.jpeg|高源院廟を移築転用した現在の名古屋東照宮の社殿 ファイル:名古屋東照宮-07.jpeg ファイル:名古屋東照宮-08.jpeg|福神社 </gallery> ==宮付寺院== 御城下六坊(名古屋六坊)と野田六坊と呼ばれる[[天台宗]]12寺が奉仕した。御城下六坊は五節句、毎月1日・15日、17日、28日に出仕。野田六坊は[[尾張・密蔵院]]の子院で、毎月17日に1坊ずつ出仕した。(『名古屋市史』[https://www.google.co.jp/books/edition/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%B8%82%E5%8F%B2/iiVYorcRDM8C?hl=ja&gbpv=1&pg=PP1125&printsec=frontcover]) *福泉寺:御城下六坊。伊倉町。西区桶屋町。 *東漸寺:御城下六坊。末広町。廃絶。 *願行寺:御城下六坊。上田町。廃絶。 *宝泉寺:御城下六坊。東寺町。中区新栄町。 *千葉寺:御城下六坊。東寺町。廃絶。 *円教寺:御城下六坊。東田町。 *常林坊:野田六坊。 *常泉坊:野田六坊。 *福泉坊:野田六坊。 *吉祥坊:野田六坊。 *善明坊:野田六坊。 *千蔵坊:野田六坊。 ==徳川将軍家霊廟== [[日光山]]・[[寛永寺]]に埋葬された将軍の供養は[[天台宗]][[尊寿院]]が奉仕。[[増上寺]]に埋葬された将軍の供養は[[浄土宗]][[建中寺]]が奉仕した。1786年(天明6年)以降、東霊屋・西霊屋がそれぞれ1殿ずつとなる。その後は合祀となる。 *台徳院廟:東霊屋。建中寺が奉仕。鳥居があった。 *大猷院廟:東霊屋。尊寿院が奉仕。鳥居があった。 *厳有院廟:東霊屋。尊寿院が奉仕。 *常憲院廟:西霊屋。有徳院を合祀。尊寿院が奉仕。 *文照院廟:西霊屋。有龍院、淳信院を合祀。建中寺が奉仕。 ==組織== ===吉見家=== [[源氏]]。元は[[菅原氏]]。藩内の神職の首位に置かれた。吉見文庫は名古屋市鶴舞中央図書館に現存する。 *1吉見幸勝(1615-1676)<?-1668>:伊勢出身。1615年(元和1年)生。初名は園崎直勝。1627年(寛永4年)16歳で徳川義直に近侍する。主君の名を避けて改名する。学を勤めて名古屋東照宮に奉仕する。1662年(寛文2年)10月13日、正五位下に叙し、宮内大輔に補任され、さらに東照宮奉仕のため菅原氏から源氏に改姓する。吉見を称す。1664年(寛文4年)12月、徳川光友に命じられて[[吉田家]][[大元宮]]を模して[[柳原祭場殿]]を設けた。1676年(延宝4年)5月4日死去。62歳。 *2吉見恒幸(1641-1697)<1668-1696>:1641年(寛永18年)生。1666年(寛文6年)12月、正四位下民部大輔。1668年(寛文8年)11月、家督相続。1697年(元禄10年)6月17日死去。57歳。 *3吉見幸和(1673-1761)<1696-1728>:吉見恒幸次男。1673年(延宝1年)生。徳川綱誠に近侍し、三輪勝弥と称す。兄の吉見幸寛が病により廃嫡となると、1694年(元禄7年)11月、嫡嗣となる。1696年(元禄9年)7月、家督相続。1699年(元禄12年)8月、従五位下、刑部少輔。1704年(宝永1年)11月、従五位上・刑部大輔。のち正四位下・左京大夫。1698年(元禄11年)尾張風土記編纂の命を受けるが計画はストップする。[[京都]]に遊学して正親町公通に[[垂加神道]]を学ぶ。その学績優秀にして猶子の扱いを与えられた。1721年(享保6年)、藩主の命で上京して[[伏見稲荷大社]]につかえる弟の知幸の叙位を朝廷に申請。これを[[吉田家]]が妨害したので吉田家の典籍を論難し、朝廷を驚かせ、ついに許可を得たという。1745年(延享2年)、正親町実連に招聘され京都で日本書紀を講義。一条道香、近衛内前に謁見した。1746年(延享3年)江戸を経て4月16日17日に[[日光東照宮]]を参拝。[[塩竈神社]]祠官の藤塚知直に招かれ、陸奥国塩竈で講義。秋まで滞在した。垂加神道や[[吉田神道]]、[[伊勢神道]]の教説に疑問を懐き、神道五部書が偽書だと論証した。1756年(宝暦6年)、名古屋藩から官費を支給され吉見文庫を備えた。1761年(宝暦11年)4月26日死去。(1934『名古屋市史』[https://www.google.co.jp/books/edition/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%B8%82%E5%8F%B2/baUJy52rnocC?hl=ja&gbpv=1&pg=PP130&printsec=frontcover]) *4吉見幸混(1715-1763)<1728->:吉見幸和の次男。1715年(正徳5年)生。父から家学を学び、松平君山に儒学を学び、武技に通じる。1728年(享保13年)9月、東照宮の神主を継承。1763年(宝暦13年)12月9日死去。49歳。(1934『名古屋市史』) *5吉見幸孝()<>:養子。越前守。 *6吉見幸茂()<>:養子。従四位下。相模守。1840年(天保11年)藩命で[[護山神社]]を創建。 *7吉見幸磐()<>:従五位下。讃岐守。 *8吉見幸純()<>: *9吉見彦之助()<>:1921年(大正10年)吉見文庫を名古屋市立図書館に寄贈。 *10吉見四朗(1909-)<>:1909年(明治42年)生。1935年(昭和10年)[[愛知国学院]]本科卒。1941年(昭和16年)[[真清田神社]]主典。1942年(昭和17年)片山八幡神社社司。1946年(昭和21年)同神社宮司。著書『吉見幸和大人略伝』。 *11吉見英和()<>:片山八幡神社宮司。著書『吉見幸和翁の年譜と著述―吉見幸和大人命二百五十年祭記念』。 [[category:愛知県]] ==資料== *『尾張名所図会』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764880/30] *『東照宮神幸名古屋区祭明細図会』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815886] *田中善一1963「名古屋東照宮創祀考」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1738193/13][https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3451585/112] *田中善一1968「名古屋東照宮」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3451585/130] *「名古屋東照宮祭礼図」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2787269/2]:森高雅筆。1822年(文政5年)。
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