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向日神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
向日神社
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'''向日神社'''(むこう・じんじゃ)は、京都府向日市向日町北山(山城国乙訓郡)にある神社。祭神は向日神・[[火雷神]]・[[玉依姫命]]・[[神武天皇]]。[[長岡京]]内に位置する。[[官社]]。[[府社]]。[[日蓮宗]]の[[日像]]の旧跡。社殿は東面し、西国街道と接する参道入口に[[日像説法石]]があり、街道の東方には[[長岡宮]]跡や日像ゆかりの[[南真経寺]]・[[北真経寺]]がある。'''向日明神'''。 == 歴史 == 養老年間の創建と伝える。神社の西北西5kmにある[[京都・金蔵寺]]は718年(養老2年)、向日明神の神勅で創建され、最初の影向地ともいう(『金蔵寺略縁起』)。現在鎮座する向日山には、京都盆地最古の古墳「元稲荷古墳」(3世紀後半~4世紀初頭、前方後円墳)があり、周辺に古墳群が広がる。有力な豪族がいたと考えられ、向日神社の創建との関連も指摘される。 向日神は、『古事記』に登場する「白日神」のことだとする説がある(『神祇拾遺』『古事記伝』)。白日神は[[スサノオ]]の孫で、[[大年神]]の子。近くに親神を祀る[[大原野・大歳神社|大歳神社]]がある。 859年(貞観1年)1月27日、神階が正六位上から従五位下に昇った(近世には正一位を称している)。『向日社略記』によれば、本来は向日神を祀る上社と火雷神を祀る下社に分かれていたが、中世に下社が大破したために1275年(建治1年)上社に合祀したという。この下社を官社「乙訓坐大雷神社」とし、市内の[[角宮神社]]に比定する説もある。 中世には周辺の集落が結集する土一揆の中心となった。日蓮宗の京都布教の先鞭をつけた日像(1269-1342)は、1310年(延慶3年)もしくは1307年(徳治2年)、土佐配流となった。京都から配所に向かう途中、神社の前で向日明神の化身として老翁や鳩が現れてこの地で布教。[[真経寺]]の創建につながったという(日像は実際には土佐には赴かず、大山崎周辺に滞在していたという)。1418年(応永25年)起工、1422年(応永29年)上棟されたのが現在の本殿。現存する流造りの社殿の代表例とされ、この本殿は[[明治神宮]]社殿のモデルになったという。1585年(天正13年)、[[豊臣秀吉]]が朱印領27石を寄進。江戸時代にも引き継がれた。江戸時代、向日神社は角宮神社を摂社だと主張して争論となった。明治まで神宮寺があったらしい。 社家の六人部氏は平安時代以来の古い家で、幕末の六人部是香(1798-1863)は平田派[[国学者]]として著名で、独自の幽冥論を展開すると共に産土神の重要性を強調した。(『日本歴史地名大系』『国史大辞典』ほか) == 境内 == *本社 *勝山稲荷社:祭神は倉稲魂命・宇迦之御魂神 *元稲荷社: *天満宮社:祭神は菅原神・大歳神・屋船神 *増井神社:祭神は火雷大神荒魂。 *五社神社:祭神は大己貴神・武雷神・別雷神・磐裂神・事代主神 *春日神社:祭神は武甕槌神・斎主神・天津児屋根尊・姫大神 *御霊神社:祭神は伊邪那岐尊・伊邪那美尊 *[[日像説法石]]: *鶏冠井御旅所:向日市鶏冠井町 *上植野御旅所:向日市上植野町。 *石見遥拝所:京都市西京区大原野石見町。氏子地域に含まれ、向日神社の遥拝所がある。 (向日神社ウェブサイトほか) [[category:京都府]]
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