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向日神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年9月8日 (土)

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向日神社(むこう・じんじゃ)は、京都府向日市向日町北山(山城国乙訓郡)にある神社。祭神は向日神・火雷神玉依姫命神武天皇長岡京内に位置する。官社府社日蓮宗日像の旧跡。社殿は東面し、西国街道と接する参道入口に日像説法石があり、街道の東方には長岡宮跡や日像ゆかりの南真経寺北真経寺がある。向日明神

歴史

養老年間の創建と伝える。神社の西北西5kmにある京都・金蔵寺は718年(養老2年)、向日明神の神勅で創建され、最初の影向地ともいう(『金蔵寺略縁起』)。現在鎮座する向日山には、京都盆地最古の古墳「元稲荷古墳」(3世紀後半~4世紀初頭、前方後円墳)があり、周辺に古墳群が広がる。有力な豪族がいたと考えられ、向日神社の創建との関連も指摘される。

向日神は、『古事記』に登場する「白日神」のことだとする説がある(『神祇拾遺』『古事記伝』)。白日神はスサノオの孫で、大年神の子。近くに親神を祀る大歳神社がある。

859年(貞観1年)1月27日、神階が正六位上から従五位下に昇った(近世には正一位を称している)。『向日社略記』によれば、本来は向日神を祀る上社と火雷神を祀る下社に分かれていたが、中世に下社が大破したために1275年(建治1年)上社に合祀したという。この下社を官社「乙訓坐大雷神社」とし、市内の角宮神社に比定する説もある。

中世には周辺の集落が結集する土一揆の中心となった。日蓮宗の京都布教の先鞭をつけた日像(1269-1342)は、1310年(延慶3年)もしくは1307年(徳治2年)、土佐配流となった。京都から配所に向かう途中、神社の前で向日明神の化身として老翁や鳩が現れてこの地で布教。真経寺の創建につながったという(日像は実際には土佐には赴かず、大山崎周辺に滞在していたという)。1418年(応永25年)起工、1422年(応永29年)上棟されたのが現在の本殿。現存する流造りの社殿の代表例とされ、この本殿は明治神宮社殿のモデルになったという。1585年(天正13年)、豊臣秀吉が朱印領27石を寄進。江戸時代にも引き継がれた。江戸時代、向日神社は角宮神社を摂社だと主張して争論となった。明治まで神宮寺があったらしい。

社家の六人部氏は平安時代以来の古い家で、幕末の六人部是香(1798-1863)は平田派国学者として著名で、独自の幽冥論を展開すると共に産土神の重要性を強調した。(『日本歴史地名大系』『国史大辞典』ほか)

境内

  • 本社
  • 勝山稲荷社:祭神は倉稲魂命・宇迦之御魂神
  • 元稲荷社:
  • 天満宮社:祭神は菅原神・大歳神・屋船神
  • 増井神社:祭神は火雷大神荒魂。
  • 五社神社:祭神は大己貴神・武雷神・別雷神・磐裂神・事代主神
  • 春日神社:祭神は武甕槌神・斎主神・天津児屋根尊・姫大神
  • 御霊神社:祭神は伊邪那岐尊・伊邪那美尊
  • 日像説法石
  • 鶏冠井御旅所:向日市鶏冠井町
  • 上植野御旅所:向日市上植野町。
  • 石見遥拝所:京都市西京区大原野石見町。氏子地域に含まれ、向日神社の遥拝所がある。

(向日神社ウェブサイトほか)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%90%91%E6%97%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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