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唯念寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
唯念寺
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[[file:036D0DCA-7DA6-44D3-91D3-921FE965113F.jpeg|唯念寺|thumb|500px]] '''唯念寺'''(ゆいねんじ)は、東京都台東区元浅草にある[[浄土真宗]]寺院。[[真宗高田派]]。[[江戸・称念寺]]、[[澄泉寺]]とともに、本山[[専修寺]]の分院格で、[[江戸触頭]]だった。唯念寺で自決した[[専修寺]]15世の堯朝の墓があるらしい。[[下野・専修寺]]の[[一光三尊仏]]の出開帳が唯念寺でしばしば行われた。藤井方亭、八田華陽、山崎知雄、山田立良の墓があるという。触光院。山号は至心山。 *1546年(天文15年):浄因が創建。最初、品川にあり、勝念寺と称したが唯念寺と改称した。 *1646年(正保3年):馬喰町に移った。 *1646年(正保3年):専修寺堯朝の江戸宿所となったが8月22日に自決。[[親鸞]]真蹟を幕府に提出せよとの命令に抗議してのものという。 *1657年(明暦3年):明暦の大火で焼失。元浅草に再建された。 *1667年(寛文7年):[[小塚原]]に火葬場を与えられ、のち教受坊と称した。 *元禄年間(1688-1704):専修寺末の触頭と定められた。 *1714年(正徳4年):7代将軍徳川家継生母の月光院(1685-1752)の由緒により120石(100石とも)が寄進され、[[紫衣]]着用が認められた。 (下谷区史ほか) ==子院== *松寿庵:南松寺。関東大震災後、葛飾区を経て練馬区に移転。 *寿光庵:願寿寺。 *林昌軒:林柔寺。住職勝田元哲の娘の月光院が6代将軍徳川家宣の側室となり、7代将軍徳川家継の生母となる。関東大震災のあと、葛飾区に移転。 *教受坊:? <gallery widths="200" heights="150" perrow="3"> file:3D43DCB0-B3AE-4DC2-BDD2-5197E13ED7D1.jpeg|唯念寺 file:70955810-DD12-4FD9-B10B-4C95D360073F.jpeg|唯念寺 </gallery> [[category:東京都]]
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