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善能寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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[[File:泉涌寺善能寺・本堂_(2).JPG|本堂|thumb|500px]] '''善能寺'''(ぜんのうじ)は京都府京都市東山区泉涌寺山内町にある[[真言宗]]寺院。本尊は[[聖観音]]。[[泉涌寺]]子院。[[真言宗泉涌寺派]]。[[泉涌寺関連旧跡]]。[[伏見稲荷大社関連旧跡]]。境内の[[善能寺稲荷神社|稲荷神石社]]は「日本最初の稲荷大明神」という。かつては'''二階堂'''、'''八条二階堂'''と呼ばれたという。 823年(弘仁14年)、[[空海]]が[[嵯峨天皇]]の勅願で八条北猪熊(京都府京都市南区戒光寺町あたり)に創建。八条に住む柴守長者と出会ったのが創建のきっかけという。柴守長者は稲荷明神の化身だった。二階建てだった柴守長者の邸宅が観音を祀る堂となり、二階堂と呼ばれ、またその地が伏見稲荷大社の御旅所の一つ([[伏見稲荷大社八条坊門猪熊御旅所]])になったという。『都名所図会』に「古御旅所」に「八条坊門金替町の南にあり。むかし此所は二階堂観世音ましまして地主を福子稲富といふ。今此観音は泉涌寺の内善能寺にあり。此社の鳥居通を戒光寺町といふ(後略)」とある。 1545年(天文14年)、[[後奈良天皇]]の勅命で泉涌寺内に移転。 のち現在の[[安楽光院]]跡に移転。 1972年(昭和47年)11月、現在の本堂「祥空殿」竣工。大森健二の設計。北海道「ばんだい号」事故の遺族により航空殉難者の慰霊のため寄進。 庭園「仙遊苑」は重森三玲の作庭。 (日本歴史地名大系、境内由緒書ほか) <Gallery widths="300" heights="200" perrow="3"> File:泉涌寺善能寺・山門.JPG|善能寺山門 File:泉涌寺善能寺・本堂.JPG|本堂 File:泉涌寺善能寺・稲荷神石社_(1).JPG|稲荷神石社 File:泉涌寺善能寺・稲荷神石社_(2).JPG|稲荷神石社 File:泉涌寺善能寺・稲荷社2.JPG|稲荷社2 File:泉涌寺善能寺・稲荷社3.JPG|稲荷社3 File:泉涌寺善能寺・鎮魂碑.JPG|鎮魂碑 </Gallery> [[category:京都府]]
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