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喜光寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | '''喜光寺'''(きこうじ)は、奈良県奈良市(旧[[平城京]]内)にある[[行基]]ゆかりの[[南都仏教]]寺院。本尊は[[阿弥陀如来]]。[[菅原氏]]の氏寺。[[行基建立四十九院]] | + | '''喜光寺'''(きこうじ)は、奈良県奈良市(旧[[平城京]]内)にある[[行基]]ゆかりの[[南都仏教]]寺院。本尊は[[阿弥陀如来]]。[[菅原氏]]の氏寺。[[行基建立四十九院]]の一つで、行基の没地という。行基が[[東大寺大仏殿]]を造営する前に試しに本堂を建てたとされる。中世には[[興福寺一乗院]]末となり、[[一乗院宮喜光寺墓地]]が隣接する。また[[叡尊]]が復興して[[西大寺]]末にもなる。鎮守は、[[菅原天満宮]]。 |
- | 現在は[[法相宗]][[南都仏教の本山寺院|別格本山]]。[[東大寺関連旧跡]]、[[興福寺関連旧跡]]、[[薬師寺関連旧跡]]。'''菅原寺'''、'''歓喜光寺''' | + | 現在は[[法相宗]][[南都仏教の本山寺院|別格本山]]。[[東大寺関連旧跡]]、[[興福寺関連旧跡]]、[[薬師寺関連旧跡]]。'''菅原寺'''、'''菅原喜光寺'''、'''歓喜光寺'''、'''歓喜光律寺'''。山号は清涼山。 |
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== 歴史 == | == 歴史 == | ||
+ | 721年に行基が創建。平城京右京三条三坊に当たる。 | ||
+ | 元々は[[土師氏]]、[[菅原氏]]の氏寺で、周辺は一族の拠点となった地。[[菅原天満宮]]が近くにある。のち[[興福寺一乗院]]の隠居寺となり、隣接地には[[一乗院宮喜光寺墓地]]がある。 | ||
+ | 1275年、一乗院門跡の信昭から叡尊に寄進され、復興された。 | ||
+ | 江戸時代には30石を領した。 | ||
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+ | ==伽藍== | ||
+ | *本堂 | ||
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+ | *[[一乗院宮喜光寺墓地]] | ||
+ | ==組織== | ||
+ | ===中世〜近世=== | ||
+ | *叡尊 | ||
+ | *性海 | ||
+ | *尊成:復飾して菅田英直と名乗る。神職となり、神職を解任された後も喜光寺に住み続けたため混乱した。 | ||
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2018年6月28日 (木) 時点における版
喜光寺(きこうじ)は、奈良県奈良市(旧平城京内)にある行基ゆかりの南都仏教寺院。本尊は阿弥陀如来。菅原氏の氏寺。行基建立四十九院の一つで、行基の没地という。行基が東大寺大仏殿を造営する前に試しに本堂を建てたとされる。中世には興福寺一乗院末となり、一乗院宮喜光寺墓地が隣接する。また叡尊が復興して西大寺末にもなる。鎮守は、菅原天満宮。 現在は法相宗別格本山。東大寺関連旧跡、興福寺関連旧跡、薬師寺関連旧跡。菅原寺、菅原喜光寺、歓喜光寺、歓喜光律寺。山号は清涼山。
目次 |
歴史
721年に行基が創建。平城京右京三条三坊に当たる。 元々は土師氏、菅原氏の氏寺で、周辺は一族の拠点となった地。菅原天満宮が近くにある。のち興福寺一乗院の隠居寺となり、隣接地には一乗院宮喜光寺墓地がある。 1275年、一乗院門跡の信昭から叡尊に寄進され、復興された。 江戸時代には30石を領した。
現在は薬師寺末になっている。
伽藍
- 本堂
- 行基堂
- 一乗院宮喜光寺墓地
組織
中世〜近世
- 叡尊
- 性海
- 尊成:復飾して菅田英直と名乗る。神職となり、神職を解任された後も喜光寺に住み続けたため混乱した。