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四天王寺薬師堂
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
四天王寺薬師堂
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[[File:摂津名所図会・四天王寺・合成・部分・元三大師堂・椎寺薬師.jpg|thumb|700px|1798年『摂津名所図会』の椎寺境内。描かれるのは現在の六時礼讃堂とみられる。]] [[File:四天王寺・六時礼讃堂 (4).jpg|thumb|400px|六時礼讃堂として移築された元和造営の旧椎寺薬師堂]] [[File:四天王寺・万灯院.jpg|thumb|400px|万灯院として移築された文化造営の旧椎寺薬師堂]] '''四天王寺薬師堂'''は大阪府大阪市天王寺区の[[四天王寺]]にあった[[薬師堂]]。[[最澄]]が創建。'''椎寺'''、'''椎寺薬師堂'''と呼ばれた。[[四天王寺関連旧跡]]。 四天王寺境内の西北にあり、独立した区画を持っていた。元三大師堂はかつて椎寺の域内だったとみられる。 最澄が創建したという。[[四天王寺薬師院|薬師院]]と同一の可能性があるが不詳。 近世初期の『天王寺誌』 によると、かつてこの場所に椎宮という神社があり、6月には荒和祓(なごしのはらえ)、竈祓を行っていたという。 1623年(元和9年)再建。1811年(文化8年)、旧堂を六時礼讃堂として移築。1812年(文化9年)再建。 1952年(昭和27年)、堂宇を万灯院として移築。廃絶となった。多くの伽藍が焼失した四天王寺の中で旧堂が2棟も残る稀有な施設。 1812年(文化9年)の『四天王寺再建絵図』には妙見堂もあった。 1923年(大正12年)の『大阪四天王寺案内誌』の境内図によればこの頃、物部守屋を祀る[[願成就宮]]も椎寺の域内にあったようだ。 南側に池があった。 <Gallery widths="200" heights="150" perrow="2"> ファイル:四天王寺元三大師堂 (6).jpg|乾門 ファイル:四天王寺元三大師堂 (7).jpg|正面は元三大師堂。参道の左側(北側)に椎寺があったとみられる。 File:安永摂州四天王寺絵図・椎寺・勝鬘院・大江神社.jpg|1775年『摂州四天王寺絵図』 File:摂津名所図会・四天王寺・部分・椎寺薬師.jpg|1798年『摂津名所図会』の椎寺薬師堂 File:文化四天王寺再建絵図・部分・椎寺薬師・元三大師堂.jpg|1812年『四天王寺再建絵図』 File:大阪四天王寺案内誌・境内図.jpg|1923年の境内図(『大阪四天王寺案内誌』) ファイル:1935年(昭和10年)四天王寺図録伽藍編・四天王寺現境内実測図・椎寺周辺.jpg|1935年(昭和10年)測量「四天王寺現境内実測図」 </Gallery> [[category:大阪府]]
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