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国家仏教
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
国家仏教
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国家仏教 ==法会== {|class="wikitable" |+ !style="width:10%;"|名称 !style="width:8%;"|実施日 !style="width:8%;"|会場 !style="width:8%;"|目的 !style="width:8%;"|本尊 !style="width:8%;"|経典 !style="width:8%;"|天皇の関与 !style="width:42%;"|概要 |- |[[御斎会]] |1/8~1/14 |[[大極殿]] |祈願・修学 |[[盧舎那仏]] |金光明経 |ときに天皇出御。 |律令国家で最も重要な仏教法会だった。大極殿で毎年1月8日から14日まで行われた最勝会。毘盧遮那仏を高御座に奉安し、『金光明最勝王経』を講じた。称徳天皇の768年(神護景雲2年)頃から恒例となる。法会を運営する行事官は太政官官員で構成した。後七日御修法と同じ日程で、顕教の御斎会と密教の御修法で顕密の対となる。室町時代に廃絶。 |- |真言法([[後七日御修法]]) |1/8~1/14 |[[真言院]] |祈願 |曼荼羅 | |玉体加持。御衣加持。 |密教修法。空海は御修法を行う上奏文を提出し、834年(承和1年)12月、勅許を得る。835年(承和2年)1月8日に初めて行った。1月8日から1月14日の期間は大極殿での御斎会が恒例となっていたが、空海は密教修法の意義を説いて認められた。空海は同年死去。会場となる真言院の成立は829年(天長6年)説や834年(承和1年)説がある。1353年(正平8年/文和2年)の真言院廃滅の後は、明治初年まで紫宸殿が道場となった。1460年(寛正1年)を最後に百数十年中断。近世、醍醐寺義演の働き掛けで1623年(元和9年)復興。1871年(明治4年)廃絶するが、1883年(明治16年)1月8日、東寺灌頂院を道場として復興した。 |- |[[大元帥法]] |1/8~1/14 |[[治部省]] |祈願 |[[大元帥明王]] |阿〓婆拘鬼神大将上仏陀羅尼神呪経 |御衣加持。 |密教修法。7日間、天皇の御衣を加持する。初日に御衣を賜って道場に送り、御衣筥に入れて緋色の紐で結ぶ。結願の日に御衣を奉還する。法琳寺の常暁(?-866)が840年(承和7年)12月に宮中常寧殿で営んだのが起源。以後、国家鎮護の修法として重視され、851年(仁寿1年)から後七日御修法に准じて毎年同期間に行うことが勅許された。866年(貞観8年)から治部省で行った。即位など臨時に行うこともあった。当初は後七日御修法よりも重視されていたという。大元帥法は臣下が独断で行うことは禁止されていた。 |- |延暦寺修法 |12/23~1/14 |[[延暦寺]] |祈願 | | | |密教修法。 |- |延暦寺定心院修法 |1月(7日間) |[[延暦寺定心院]] |祈願 | | | |密教修法。 |- |延暦寺定心院正月悔過 |1月 |延暦寺定心院 |祈願 | | | | |- |延暦寺西塔院釈迦堂正月悔過 |1月 |[[延暦寺釈迦堂]] |祈願 | | | | |- |諸国国分二寺正月金光明経会 |1/8~1/14 |[[国分僧寺]]・[[国分尼寺]] |祈願 | |金光明経 | | |- |諸国国庁吉祥悔過 |1/8~1/14 |国府 |祈願 |[[吉祥天]] |金光明経 | | |- |季読経(季御読経) |2月(3日間) |大極殿または[[紫宸殿]] |祈願 |盧遮那仏 |大般若経 | |僧100人が出仕。『江家次第』に招かれた僧の33寺が挙げられている。708年(和銅1年)もしくは729年(天平1年)に始まったという。862年(貞観4年)に年4回(2月・4月・8月・10月)となる。877年(元慶1年)3月に春秋二季となる。延喜式には3日間とあるが、天慶年間以降は4日間となる。大極殿・紫宸殿を会場としたが、天慶・天徳年間以降は紫宸殿が恒例となり、清涼殿を会場としたこともあるという。(国史大辞典など) |- |新薬師寺修法 |2月 |[[新薬師寺]] |祈願 | | | |密教修法。 |- |諸国国分二寺金剛般若経会([[崇道天皇]]春秋読経) |2月(7日間) |国分僧寺・国分尼寺 |回向 | |金剛般若経 | |崇道天皇の供養のために国分寺・国分尼寺に金剛般若経を読経させた。 |- |薬師寺最勝会 |3/7-3/13 |[[薬師寺]]講堂 |修学 |[[阿弥陀如来]] |金光明経 |勅使派遣 |南京三会の一つ。830年(天長7年)に仲継の発議を受け直世王の上奏で始まる。竪義が行われ、官僧の出世の登龍門となった。1445年(文安2年)6月、暴風で薬師寺諸堂が倒壊して最勝会も廃絶した。 |- |興福寺国忌(藤原乙牟漏忌日) |3月10日 |[[興福寺]] |回向 | | | |藤原乙牟漏の国忌。 |- |授戒 |3月11日 |[[三戒壇]] |修学 | | | | |- |東大寺華厳会 |3月14日 |[[東大寺]] |祈願? | |華厳経 | |官人史生1人が楽人を率いて参加。 |- |西大寺成道会 |3月15日 |[[西大寺]] |報恩 |[[釈迦如来]] | | |古代には現在の12月8日ではなく、上座部所伝の3月15日に行っていた。 |- |東寺春秋修法 |3月15日 |[[東寺]] |祈願? | | | |密教修法。 |- |西寺国忌([[桓武天皇]]忌日) |3月17日 |[[西寺]] |回向 | | | |桓武天皇の国忌。 |- |東寺国忌([[仁明天皇]]忌日) |3月21日 |東寺 |回向 | | | |仁明天皇の国忌。 |- |嘉祥寺地蔵悔過 |3月 |[[嘉祥寺]] |祈願 |[[地蔵菩薩]] | | | |- |大般若会 |4/1~8/30 |十六大寺 |祈願 | |大般若経 | |東大寺、興福寺、元興寺、大安寺、薬師寺、西大寺、法隆寺、新薬師寺、唐招提寺、本元興寺、弘福寺、四天王寺、崇福寺、東西法華寺(?)、梵釈寺などで4月1日から8月30日まで食事の時に食堂で大般若経1巻を読経した |- |大安寺大般若会 |4/6~4/7 |[[大安寺]] |祈願 | |大般若経 |勅会 |道慈の上奏で737年(天平9年)4月に勅会となる。僧150人が出仕して大般若経が真読した。大般若四処十六会図像を作成した。官人史生1人が楽人を率いて参加。(国史大辞典など) |- |御灌仏(殿上灌仏) |4月8日 |[[清涼殿]]? |祈願・報恩 |釈迦如来 | | | |- |東寺西寺四月八日・七月十五日斎会 |4月8日 |東寺・西寺 |祈願・報恩 |釈迦如来 | | | |- |下野国薬師寺四月八日・七月十五日斎会 |4月8日 |[[下野薬師寺]] |祈願・報恩 |釈迦如来 | | | |- |崇福寺悔過 |4/13~4/15 |[[崇福寺]] |祈願 | | | | |- |十五大寺安居 |4/15~7/15 |十五大寺 |修学 | | | | |- |招提寺安居 |4/15~7/15 |[[唐招提寺]] |修学 | | | | |- |諸国金光明寺安居 |4/15~7/15 |国分寺 |修学 | |金光明経 | |尼も国分僧寺に集まる。 |- |東寺国忌(藤原沢子忌日) |6月30日 |東寺 |回向 | | | |仁明天皇女御で光孝天皇生母の藤原沢子(?-839)の国忌。藤原総継の娘。839年(承和6年)6月30日に突然死去。即日、贈従三位。884年(元慶8年)、光孝天皇即位と共に皇太后が贈られ、国忌が置かれ、墓を陵に改められ、十陵五墓に加えられた。 |- |東寺国忌(藤原胤子忌日) |6月30日 |東寺 |回向 | | | |宇多天皇女御で醍醐天皇生母の藤原胤子(?-896)の国忌。藤原高藤の娘。893年(寛平5年)女御となる。896年(寛平8年)6月30日死去。897年(寛平9年)、醍醐天皇即位で、7月19日に皇太后を贈られた。同年12月8日に国忌が定められ、同日、陵が十陵に定められた。 |- |本元興寺万花会 |6月15日 |[[本元興寺]] |祈願? | | | |843年(承和10年)5月26日の仁明天皇の勅で恒例となる(続日本後紀)。 |- |東寺西寺文殊会 |7月8日 |東寺・西寺 |祈願? |[[文殊菩薩]] |文殊師利般涅槃経 | | |- |盂蘭盆会 |7月15日 |七寺 |回向 | |盂蘭盆経 | | |- |東寺西寺四月八日・七月十五日斎会 |7月15日 |東寺・西寺 |回向 | |盂蘭盆経 | | |- |下野国薬師寺四月八日・七月十五日斎会 |7月15日 |下野薬師寺 |回向 | |盂蘭盆経 | | |- |薬師寺大般若会 |7/23~7/29 |薬師寺 |祈願 | |大般若経 | |僧30人が出仕する。 |- |季読経(季御読経) |8月(3日間) |大極殿 |祈願 |盧遮那仏 |大般若経 | | |- |西寺国忌([[光孝天皇]]忌日) |8月26日 |西寺 |回向 | | | |光孝天皇(830-887)<884-887>の国忌。887年(仁和3年)8月26日崩御。 |- |西寺国忌([[文徳天皇]]忌日) |8月27日 |西寺 |回向 | | | |文徳天皇(827-858)<850-858>の国忌。858年(天安2年)8月27日崩御。 |- |諸国国分二寺金剛般若経会(崇道天皇春秋読経) |8月(7日間) |国分僧寺・国分尼寺 |回向 | |金剛般若経 | | |- |東大寺大般若会 |9月15日 |東大寺 |祈願 | |大般若経 | |官人史生1人が楽人を率いて参加。 |- |延暦寺灌頂 |9月15日 |延暦寺 |修学 | | | | |- |金剛峰寺修功徳 |9月24日 |[[金剛峰寺]] |祈願? | | | |832年(天長9年)に始まる。高野山万燈会。 |- |興福寺維摩会 |10/10~10/16 |[[興福寺]]講堂 |修学・回向 | |維摩経 |勅使派遣 |南京三会の一つ。藤原鎌足が658年(斉明4年)に元興寺福亮を招いた維摩経を講じたのが始まり。706年(慶雲3年)に藤原不比等が鎌足の命日を結願日として再興するが中断。733年(天平5年)再興。757年(天平宝字1年)藤原仲麻呂が再興。802年(延暦21年)から恒例となる。859年(貞観1年)には維摩会講師を務めた僧が翌年1月の宮中御斎会と翌々年3月の薬師寺最勝会の講師を務める制度ができた。三会の講師を務め終えると已講となり、僧綱に出世した。中世以後、たびたび中断し、明治維新の興福寺廃止で廃絶した。 |- |本元興寺万灯会 |10月15日 |本元興寺 |祈願 | | | |843年(承和10年)5月26日の仁明天皇の勅で恒例となる(続日本後紀)。 |- |嘉祥寺地蔵悔過 |10月 |嘉祥寺 |祈願 |地蔵菩薩 | | | |- |東寺春秋修法・秋灌頂 |11月16日 |東寺 |祈願? | | | |密教修法。 |- |崇福寺国忌([[天智天皇]]忌日) |12月3日 |崇福寺 |回向 | | | |天智天皇(626-671)<668-671>の国忌。671年(天智10年)12月3日崩御。のち律令国家の祖とみなされ、陵墓への奉幣も長く続けられた。 |- |崇福寺悔過 |12/3~12/5 |崇福寺 |祈願 | | | | |- |御仏名 |12/19~12/21 |清涼殿 |祈願・修学 | | | |774年(宝亀5年)12月に始まった。823年(弘仁14年)12月には長恵、勤操、空海らを請じて清涼殿で行っている。建久年間には12月19日~25日の期間の1日だけと定められた。永和頃には廃絶した。 |- |東寺国忌([[光仁天皇]]忌日) |12月23日 |東寺 |回向 | | | |光仁天皇(709-781)<770-781>の国忌。781年(天応1年)4月3日に譲位して12月23日崩御。 |- |出雲国四王寺春秋修法 | |[[出雲四王寺]] |祈願 | | | |密教修法。 |} [[category:系譜記事]]
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