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園城寺法明院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年4月21日 (水)

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園城寺法明院(おんじょうじ・ほうみょういん)は、滋賀県大津市の園城寺にある天台律宗寺院。本尊は阿弥陀如来。法明律院比叡山の項目も参照。山号は長等山、唐土山。

歴史

開山は安楽律院流の義瑞性慶(1667-1737)。享保8年(1723)、僧衆の要請で、最澄が長安青龍寺戒壇の土を持ち帰り埋めたと伝える地を定め、11月に起工。翌年、方丈などが竣工。9月に居を移し、園城寺の律院とした。同名の子院自体は元禄5年には南院地区にあった。 フェノロサや町田久成の墓があることで知られる。

組織

歴代

  • 1義瑞性慶(1667-1737)<1723->:近江出身。井上氏。1667年(寛文7年)生。6歳で園城寺に入り、亮慶に師事。博覧強記で如来蔵の異名で呼ばれる。1689年(元禄2年)、妙立慈山(1637-1690)に師事し、菩薩戒を受ける。のち沙弥戒を自誓受戒。聖護院宮道祐法親王(1670-1690)に帰依され、大仙院を賜うが、諸所に住して清貧を過ごす。兄弟子の霊空光謙(1652-1739)とは論争する。崇福寺(宝珠律寺)を中興。1723年から法明院の復興にとりかかり、翌年方丈や厨室などが完成。1737年(元文2年)6月6日死去。71歳。法明院祖師堂に1765年以前の像が、崇福寺に1868年造立の像が伝わる。
  • 2篤信温(?-1759)<>:遺言により相続。経歴不詳。1759年(宝暦9年)4月5日死去。篤晋温とも。法明院に画像が伝わる。
  • 3戒春義山(?-1804)<>:本山から相続許可が出る前に篤信がなくなる。沙弥であることが問題視されるが他にいないため相続が認められた。明和の大改修を行う。忍鎧に譲り崇福寺に隠棲。しかし8年で死去したため再任。1804年(文化1年)9月14日死去。
  • 4恵釼忍鎧(?-1789)<1781?-1789>:伏見龍雲寺御山の弟子。財政再建のために招かれるが8年で死去。1789年(寛政1年)8月12日死去。
  • 5顕道敬光(1741-1795)<1794-1795>:山城岩倉出身。伊佐氏。1741年(寛保1年)生。1750年(寛延3年)園城寺に入り敬雅に師事。1752年(宝暦2年)得度。本行教院に住す。1757年(宝暦7年)密軌に受ける。宝暦年間、江戸に滞在。1764年(明和1年)本山に帰る。1765年(明和2年)伊勢、摂津、播磨讃岐を巡錫。1769年(明和6年)還俗し北岩倉に戻る。1770年(明和7年)相国寺に仮寓し慈雲に悉曇と密教を学ぶ。播磨西岸寺、源宗院、円教寺で講義。1778年(安永7年)一乗比丘戒儀を用いて梵網具戒を誓受し、比丘となる。同年、西教寺で戒灌頂を受ける。僧坊を設けることを発願して河内の岩涌寺に移り、学徒を集める。1785年(天明5年)鳩原弥勒堂に移る。1786年(天明6年)請われて鰐淵寺に移居。1788年(天明8年)松江普門院、1789年(寛政1年)井山宝福寺、康国寺で論場を開く。1789年(寛政1年)法親王に招請を固辞。1791年(寛政3年)出雲大社参詣。1792年(寛政4年)八千枚護摩。1793年(寛政5年)法親王に招請され、積善院に滞在。1794年(寛政6年)、戒春義山に推薦され法明院住職。安楽律派を認めない立場を取り、批判を展開。円頓戒を研究。弟子に儒童(量)敬天、亮碵、良厳、仏猊がいる。1795年(寛政7年)8月22日死去。56歳。敬光尊者。著書『山家正統学則』『石欄集』『菩薩戒経義記』『西遊篇』『唐房行履録』。法明院に画像が伝わる。
  • 6越渓敬長(1779-1836)<1795-1836>:智遠敬長。出雲楯縫出身。金山氏。1779年(安永8年)生。鰐淵寺に巡教に来た顕道敬光に託される。1791年(寛政3年)上京し霊哮仏猊に師事。1793年(寛政5年)、積善院に寓した顕道敬光に師事。1795年(寛政7年)法明院住職。1798年(寛政10年)沙弥戒。1800年(寛政12年)伝法灌頂。1801年(享和1年)槙尾山寺で戒律を学ぶ。1814年(文化11年)西教寺真雄から戒灌頂。11月23日、霊玉から一乗円頓戒。1826年正式に法明院を継ぐ。1833年(天保4年)蔵乗院、法音院に寓す。1836年(天保7年)2月7日死去。58歳。伝記『越渓道蹟』。法明院に画像が伝わる。
  • 7恭堂敬彦(1807-1860)<1836-1847>:大津出身。奥村氏。1807年(文化4年)生。越渓敬長に師事。1836年(天保7年)、師の死で法明院住職となる。1860年(万延1年)4月13日死去。54歳。実幢敬彦。羅月院。著書『続台宗学則』など多数。法明院に画像が伝わる。
  • 8敬研(生没年不詳)<1847-1861>:体調を崩して郷里の釜石に帰ったという。
  • 9順道敬徳(1834-1889)<1861-1889>:桜井敬徳。尾張国知多郡出身。井上氏。1834年(天保5年)生。1850年(嘉永3年)法明院に赴き恭堂敬彦に会う。諸国をめぐり1854年(安政1年)再び園城寺に赴き恭堂敬彦に師事。1856年(安政3年)一心戒、一乗円頓沙弥戒を受ける。1858年(安政5年)四度加行。三井流の密教を継ぐ。遺嘱により1861年(文久1年)法明院住職。1864年(元治1年)長栄寺実戒から具足戒。1872年(明治5年)教導職。1880年(明治13年)伝法灌頂。1883年(明治16年)5月、東大寺戒壇院で町田久成に円頓菩薩戒を授ける。フェノロサに授戒。1889年(明治22年)12月14日、東京小石川の円密道場で死去。伝記『敬徳大和上略伝』。法明院に画像が伝わる。
  • 10融照敬円(1849-1922)<>:園城寺長吏124世。実相院門跡円満院門跡瀧安寺住職。直林寛良。直林敬円。法明院に画像が伝わる。
  • 直林敬範
  • 滋野敬憲
  • 13滋野敬淳(1925-2007)<>:
  • 滋野敬宣
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