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土佐・要法寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
土佐・要法寺
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[[ファイル:土佐要法寺002.jpg|thumb|500px|]] '''要法寺'''(ようぼうじ)は高知県高知市筆山町(土佐国土佐郡)にある[[日蓮宗]]寺院。長浜時代からの[[山内家]]の菩提寺の一つ。位牌殿があった。山号は神力山。 == 歴史 == 文亀年間、近江国長浜(滋賀県長浜市)に日仁が[[久遠寺]]の末寺として創建。 のち長浜城主となった山内一豊が要法寺を菩提寺とした。 一豊が遠江国掛川(静岡県掛川市)に移封となると、1590年、要法寺も掛川に随従。 さらに土佐入国で吾川郡浦戸城に移転。高知城築城で城下町の下町に移った。 寛永初年に本堂を造営。伽藍を整備していった。 1687年火災で焼失。1688年、現在地が替地として与えられ再建された。 1692年、客殿と共に位牌殿を造営し、山内家歴代を祀った。 1706年、常法華堂を建立。 (『日本歴史地名大系』) ==境内== *本堂: *堂:不詳 *慈母観音: *吉川日鑑顕彰碑:[[久遠寺]]法主74世吉川日鑑(1827-1886)の顕彰碑。 *天誅組慰霊碑:[[天誅組]]の慰霊碑「大和殉難烈士の碑」。1895年(明治28年)12月建立。「施主山崎富女」。1939年(昭和14年)6月の追刻があり「贈従五位山崎久三郎」「天忠組志士顕彰」などの文言がみえるが不詳。 <Gallery widths="300" heights="200" perrow="3"> file:土佐要法寺001.jpg| file:土佐要法寺002.jpg| file:土佐要法寺003.jpg| file:土佐要法寺004.jpg| file:土佐要法寺005.jpg|天誅組慰霊碑 file:土佐要法寺006.jpg|天誅組慰霊碑 file:土佐要法寺007.jpg|天誅組慰霊碑 file:土佐要法寺008.jpg|天誅組慰霊碑 file:土佐要法寺009.jpg|天誅組慰霊碑 </Gallery> ==資料== *西本明四1929『潮江村誌』「要法寺」[https://dl.ndl.go.jp/pid/1105585/1/82] [[category:高知県]]
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