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土津神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
土津神社
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'''土津神社'''(はにつ・じんじゃ)は福島県耶麻郡猪苗代町美禰山にある会津藩主[[保科正之]]を祀る[[垂加神道]]の[[霊社]]。祭神は土津霊神(保科正之)と[[武内宿禰]]。[[県社]]。[[磐椅神社]]の末社だった。[[領主奉斎神社]]。 == 歴史 == 保科正之は徳川秀忠の四男。[[山崎闇斎]]・[[吉川惟足]]に師事し、[[朱子学]]と[[垂加神道]]を学んだ。生前の寛文11年、惟足から土津霊神号を授けられる。 翌年、惟足と家老友松氏興と共に磐梯山麓の現在地を検分し、ここに葬るように遺言。 同年12月、江戸藩邸で死去し、翌年、遺言通りに葬られた。 1675年、友松氏興の監督で社殿が完成し、土津神社が鎮座した。 1868年、戊辰戦争で新政府軍の侵攻を前に、蹂躙を恐れた猪苗代城代が火を放って焼失。 1870年、転封先の斗南藩五戸に遷座。翌年、藩庁移転で田名部に遷座。 1874年、会津の旧地に戻り、磐梯神社に仮遷座。1880年、現在の社殿が再建された。 (日本歴史地名大系) ==境内== *本社: *岩彦神社:祭神は保科正頼。保科正之の嫡男。1640年(寛永17年)江戸生。1657年(明暦3年)2月1日死去。18歳。 *信彦霊社:祭神は田中正玄。城代家老。15歳から高遠で保科正之に仕え、1632年(寛永9年)から1666年(寛文6年)まで34年間家老を務め、1667年(寛文7年)から1672年(寛文12年)まで城代を務めた。1672年(寛文12年)5月28日死去。60歳。 *久彦霊社:祭神は井深重光。1616年(元和2年)高遠出身。1659年(万治2年)11月4日から3代の藩主にわたって家老。1689年(元禄2年)辞職。1700年(元禄13年)4月13日死去。83歳。 *幸彦霊社:祭神は築瀬正真。家老。1637年(寛永14年)最上で保科正之に仕える。1663年(寛文3年)3月28日から1690年(元禄3年)まで家老。1710年(宝永7年)死去。90歳。 *忠彦霊社:祭神は友松氏興。土佐国出身。13歳のとき京都で保科正之に仕える。43歳で家老。家訓制定、神社政策、保科正之神葬、土津神社創建、土田堰設置、新田開発などの功績があった。1687年(貞享4年)2月29日死去。66歳。 *石彦神社:祭神は東市正純。保科正之の七子。1652年(承応1年)生。1671年(寛文11年)7月20日死去。20歳。1675年(延宝3年)創建。 *進功霊社:祭神は服部安休。林道春に学び、林春斉の推挙で保科正之に仕えた。吉川惟足に神道を学び、会津藩に神道を普及させるきっかけを作った。土津神社初代社司。1681年(天和1年)5月29日死去。63歳。 *天王社: *御社之神: *神道碑: *社地復故記: *[[保科正之墓]]: *神葬祭墓地: [[Category:福島県]]
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