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土津神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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土津神社(はにつ・じんじゃ)は福島県耶麻郡猪苗代町美禰山にある会津藩主保科正之を祀る垂加神道霊社。祭神は土津霊神(保科正之)と武内宿禰県社磐椅神社の末社だった。領主奉斎神社

目次

祭神

  • 保科正之:土津大明神。
  • 松平正容:徳翁霊神。
  • 松平容貞:土常霊神。

(服部安休伝) 武内宿禰も?

歴史

保科正之は徳川秀忠の四男。山崎闇斎吉川惟足に師事し、朱子学垂加神道を学んだ。

  • 1631年:家督相続。高遠藩主となる。
  • 1636年:最上藩に転封
  • 1643年:会津に転封。
  • 1651年:将軍後見人となる。
  • 1657年:次男正頼死去。儒葬で行う。
  • 1661年:吉川惟足に初対面。
  • 1667年頃:藩内の神社整理。前年には寺院整理。
  • 1667年:〈吉川惟足、幕府神道方となる〉
  • 1669年:隠居
  • 1671年11月17日:吉川惟足から伝授を受け、土津霊神号を授けられる。
  • 1672年8月22日:吉川惟足と家老友松氏興と共に磐梯山麓の見禰山の現在地を検分し、ここに葬るように遺言。(会津の名所旧跡)。21日とも。
  • 1672年12月18日:江戸藩邸で死去。
  • 1672年12月19日:幕府、神葬祭を許可。伝授を受けているため。(服部安休伝)
  • 1672年12月21日:棺、江戸を発す(服部安休伝)
  • 20日:会津三の丸に奉安。(猪苗代町史)
  • 1673年1月8日:諸士棺前に拝伏(服部安休伝)
  • 1673年1月14日:猪苗代の仮奉安(服部安休伝)
  • 1673年1月20日:遥拝所を会津東照宮の片隅に設置。(服部安休伝)
  • 1673年2月28日:地鎮祭。斎主は服部安休、山城石清水八幡宮の紀斎宮、磐梯神社の長尾和泉守が補助。(服部安休伝)
  • 1673年3月14日:霊柩を見禰山の仮屋に奉遷。(服部安休伝)
  • 1673年3月27日:葬儀。服部安休、吉川惟足が奉仕。翌日未明に埋葬が終わった。(服部安休伝)2月とも。
  • 10月11日:墳墓竣工。(猪苗代町史)
  • 1674年7月17日:仮社殿を建て初の祭典を執行。瑞正寺跡か(猪苗代町史)。(服部安休伝)
  • 1675年:友松氏興の監督で社殿が完成し、土津神社が鎮座した。神璽を京都吉田家から迎えた。卜部兼敬。(服部安休伝)
  • 1675年4月:神道碑建立。(服部安休伝)
  • 1675年8月19日:社殿造営(服部安休伝)
  • 1675年8月23日:遷宮式。吉川惟足奉仕。新神社創建禁制があるため、磐梯神社の末社として建てられた。(服部安休伝)
  • 1675年8月24日:保科正経、参詣。(服部安休伝)
  • 正徳(1711-1716):大明神号。(服部安休伝)
  • 1727年6月:大明神号を公表(服部安休伝)
  • 1864年3月4日:孝明天皇、保科正之に従三位追贈。(猪苗代町史)
  • 1868年8月22日:戊辰戦争で新政府軍の侵攻を前に、蹂躙を恐れた猪苗代城代の命で火を放って焼失。会津城に奉遷。(猪苗代町史)
  • 9/22:落城。翌日、落城後は磐梯神社に奉安。(猪苗代町史)
  • 1869年11/4:斗南藩3万石に転封。(猪苗代町史)
  • 1869年12/11:神主桜井、御神体を奉じて磐梯神社を出発。(猪苗代町史)
  • 12/15:仙台到着(猪苗代町史)
  • 12/27:五戸到着。(猪苗代町史)
  • 12/28:仮奉安。三浦伝七の宝蔵に奉遷。(猪苗代町史)
  • 1870年:転封先の斗南藩五戸に遷座。(猪苗代町史)
  • 1871年2月18日:藩庁の田名部移転で、藩庁の田名部円通寺に遷座。(猪苗代町史)
  • 1874年6月4日:県社列格。(猪苗代町史)
  • 7月:廃藩置県
  • 9月16日:御神体会津帰還。(猪苗代町史)
  • 1874年12月15日:会津の旧地に戻り、磐梯神社に仮遷座。(猪苗代町史)
  • 1880年7月28日:現在の社殿が再建された。(猪苗代町史)
  • 1947年:松平容保を合祀(会津の名所旧跡)

(日本歴史地名大系)

境内

巨大な神道碑。亀趺。

本社東側に南から岩彦神社、信彦霊社、久彦霊社、幸彦霊社。西側に南から進功霊社、石彦神社、忠彦霊社が並ぶ。

  • 本社:
  • 岩彦神社:祭神は保科正頼。保科正之の嫡男。1640年(寛永17年)江戸生。1657年(明暦3年)2月1日死去。18歳。磐彦霊神。
  • 信彦霊社:祭神は田中正玄。城代家老。15歳から高遠で保科正之に仕え、1632年(寛永9年)から1666年(寛文6年)まで34年間家老を務め、1667年(寛文7年)から1672年(寛文12年)まで城代を務めた。1672年(寛文12年)5月28日死去。60歳。
  • 久彦霊社:祭神は井深重光。1616年(元和2年)高遠出身。1659年(万治2年)11月4日から3代の藩主にわたって家老。1689年(元禄2年)辞職。1700年(元禄13年)4月13日死去。83歳。
  • 幸彦霊社:祭神は築瀬正真。家老。1637年(寛永14年)最上で保科正之に仕える。1663年(寛文3年)3月28日から1690年(元禄3年)まで家老。1710年(宝永7年)死去。90歳。
  • 進功霊社:祭神は服部安休。林道春に学び、林春斉の推挙で保科正之に仕えた。吉川惟足に神道を学び、会津藩に神道を普及させるきっかけを作った。土津神社初代社司。1681年(天和1年)5月29日死去。63歳。1707年創建(服部安休伝)。
  • 石彦神社:祭神は保科正純。保科正之の七子。1652年(承応1年)生。1671年(寛文11年)7月20日死去。20歳。1675年(延宝3年)創建。
  • 忠彦霊社:祭神は友松氏興。土佐国出身。13歳のとき京都で保科正之に仕える。43歳で家老。家訓制定、神社政策、保科正之神葬、土津神社創建、土田堰設置、新田開発などの功績があった。1687年(貞享4年)2月29日死去。66歳。
  • 天王社:
  • 御社之神:
  • 神道碑:碑文[1]
  • 社地復故記:
  • 保科正之墓
  • 神葬祭墓地:

組織

神主

  • 服部安休()<>:
  • 服部尚誠()<>:
  • 桜井豊記

資料

  • 見禰山葬志
  • 見禰山廟記
  • 見禰山御鎮座日記
  • 見禰山由来記
  • 見禰山秘録
  • 見禰山記
  • 山彦伝記
  • 土津霊神碑
  • 『服部安休伝』[2]
  • 『正之公政教要録』「神道」[3]
  • 土津神社絵図:会津若松史[4]
  • 千葉栄1976「土津神社の創建について」[5]
  • 1982『猪苗代町史』「土津神社と保科正之・山崎闇斎」[6]
  • 『会津若松史』「土津霊廟の造営と神道の普及」[7]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%9C%9F%E6%B4%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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