ようこそ『神殿大観』へ。ただいま
試験運用中
です。
多賀教会
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
多賀教会
のソース
移動:
案内
,
検索
以下に示された理由により、このページの編集を行うことができません:
この操作は、
利用者
のグループに属する利用者のみが実行できます。
ページ
名前空間にあるページを編集する権限がありません。
このページのソースを閲覧し、コピーすることができます:
[[ファイル:多賀大社-09.jpg|thumb|500px|多賀大社]] '''多賀教会'''は[[多賀大社]]を信仰する[[教派神道]]の[[教派神道の小規模教会|教会]]。[[大成教]]に所属。現在の多賀大社多賀講の前身でもある。 [[多賀大社関連旧跡]]。 ==歴史== *1872年(明治5年)1月17日:宇津木久岑、多賀大社祠官となる[https://dl.ndl.go.jp/pid/781848/1/91] *1874年(明治7年)2月:講究所を設置。 *1874年(明治7年)3月7日:旧[[近江・不動院|不動院]]に講究所を設置。10月廃止。 *1874年(明治7年)12月:[[小教院]]を設置。 *1875年(明治8年)3月:小教院開莚祭典式。1876年(明治9年)2月で廃止。 *1876年(明治9年)5月13日:旧坊人らが[[神道事務局]]を通して多賀教会講社の結集を教部省に出願。「多賀教会講社規約」[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264576/1/206]案を提出。 *1876年(明治9年)6月10日:[[教部省]]、多賀教会設立を認可[https://dl.ndl.go.jp/pid/12267985/1/214] *1876年(明治9年)10月21日:多賀大社、[[県社]]兼[[郷社]]に列格(滋賀県布達書明治9年丙第145号[https://dl.ndl.go.jp/pid/992825/1/2]) *1877年(明治10年)1月:役職表制定[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264576/1/171] *1877年(明治10年)11月4日:「多賀教会講社」開莚式[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264576/1/173]。教会開莚式を盛大に営む。3日間。 *1877年(明治10年)11月20日:『多賀講社神拝略』出版届[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264576/1/210] *1878年(明治11年)2月10日:多賀教会講社規約を改正[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264576/1/180] *1878年(明治11年)5月10日:結社式[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264576/1/181] *1878年(明治11年)5月11日:事務改正[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264576/1/181]。6月13日許可。 *1878年(明治11年)8月14日:多賀教会、役員を届出。教長は[[日吉大社]]宮司中教正の西川吉輔、会長は多賀大社祠官中講義の宇津木久岑。[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264573/1/185] *1879年(明治12年)1月1日:結社式大祭典説教を行う。3日まで。[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264576/1/190] *1879年(明治12年)1月22日:結社式大祭典説教を行う。2月5日まで。 *1879年(明治12年)8月1日:「多賀教会概則」制定[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264576/1/187] *1879年(明治12年)9月1日:西川吉輔、[[生国魂神社]]宮司に任命されるが赴任せず。教長はこの時点で退任か。 *1881年(明治14年)7月11日:内務省、多賀教会を神道事務局の直轄とすることを許可[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264914/1/123]。この時点で平山省斎が教長。 *1881年(明治14年)7月17日:多賀教会講社規約[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264914/1/125]を制定。 *1882年(明治15年)5月15日:<神道大成派が独立。11月6日、[[神道大成教]]と改称> *1883年(明治16年)12月24日:多賀教会、神道大成教の所属となる[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264914/1/172] *1884年(明治17年)8月11日:<[[教導職]]廃止。> *1884年(明治17年)10月4日:大成教管長平山省斎、宇津木久岑を権少教正に補任[https://dl.ndl.go.jp/pid/781848/1/91] *1884年(明治17年)10月30日:大成教、多賀教会末教会からの伺いに回答[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264914/1/188] *1885年(明治18年)4月22日:多賀大社、[[官幣中社]]に昇格。 *1888年(明治21年)4月:<教会講社と神社付属講社を分離> *1890年(明治23年)5月22日:平山省斎死去。 *1891年(明治24年)7月15日:多賀大社、神社付属講社として貴寿講社を設立。従来の多賀教会の職員および会員をそのまま所属させた。多賀教会を廃止する構想だったようだが、実際には並立状態が長らく続き各地で混乱もあったようだ。 *1893年(明治26年)10月25日:宇津木久岑、退任。 *1894年(明治27年)7月24日:貴寿講社を「多賀講社」と改称。 *1897年(明治30年)11月:「多賀講組立及規約」[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264914/1/193] *1900年(明治33年)12月27日:官幣大社多賀神社付属多賀講規約を改正。[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264573/1/73] *1914年(大正3年)1月4日:多賀大社、官幣大社に昇格。 ==教会一覧== *総本部:廃絶。多賀大社多賀講となる。 *神道大成教愛媛多賀教会:愛媛県大洲市八多喜町甲203。現存。大洲市誌[https://dl.ndl.go.jp/pid/9769322/1/415]。 *石鎚教多賀教会:愛媛県八幡浜市大平2番耕地960。元は大成教多賀教会。現存。二宮忠八ゆかり。八幡浜市誌[https://dl.ndl.go.jp/pid/9576317/1/508] *大成教多賀教会高知本院:高知県高知市宝永町8-36。多賀神社。高知市誌[https://dl.ndl.go.jp/pid/1900010/1/126?page=left&keyword=多賀神社] *大成教多賀教会愛媛本院:愛媛県松山市新立町。[[松山・多賀神社]] *大成教徳島多賀教会:徳島県徳島市。富田浦。廃絶か。 *高松多賀教会:香川県高松市二番丁。廃絶か。 *大成教中村多賀教会:高知県四万十市中村。廃絶か。中村市史[https://dl.ndl.go.jp/pid/9774914/1/339]。廃絶。 *大成教鳥取多賀教会:鳥取県鳥取市円通寺137。廃絶。 *神道大成教八幡浜多賀教会:愛媛県八幡浜市幸町一丁目。廃絶か。八幡浜市誌[https://dl.ndl.go.jp/pid/9576317/1/508] *神道大成教伊予多賀教会:愛媛県伊予市米湊1746。廃絶か。 *松坂多賀教会:三重県松阪市日野町。廃絶か。参考、八雲神社に多賀社がある。 *岡山多賀教会:岡山県岡山市中区門田屋敷。廃絶か。 *奈良多賀教会:奈良県奈良市高御門町。廃絶か。 *和歌山多賀教会:和歌山県和歌山市。通町。廃絶か。 *関多賀教会:岐阜県関市富本町。廃絶か。 *中富多賀教会:兵庫県加西市中富町。廃絶か。 <gallery widths="300" heights="300" perrow="3"> ファイル:松山多賀神社-01.jpg|松山多賀神社 File:松山多賀神社-11.jpg|松山多賀神社の注連柱(1890年(明治23年)4月)。「神道管長特賜六位平山省斎書」とあり、神道大成教の傘下にあったことが分かる。平山省斎は他でも同様の文言の署名をしている。 File:松山多賀神社-20.jpg|松山多賀神社の「寄付表」碑。1888年(明治21年)10月。「教会担任」とあり、「多賀教会」時代の遺物とみられる。 </gallery> ==資料== *「多賀教会諸願書」[https://dl.ndl.go.jp/pid/12265823/1/191] *「多賀教会諸願書」[https://dl.ndl.go.jp/pid/12267985/1/213] *多賀教会章程[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264914/1/124] *多賀教会講社規約[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264914/1/125] *結社概則[https://dl.ndl.go.jp/pid/12264914/1/158] [[category:団体]]
多賀教会
に戻る。
表示
ページ
議論
ソースを表示
履歴
個人用ツール
案内
神殿大観 メイン
神殿大観 総目次
おまかせ表示
検索
ツールボックス
リンク元
関連ページの更新状況
ファイルをアップロード
特別ページ