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夢窓疎石旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年8月15日 (水)

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夢窓疎石(むそう・そせき)(1275-1351)は臨済宗五山派の最盛期を築いた僧。伊勢出身。平氏建仁寺無隠円範に師事。高峰顕日の法を継ぐ。後醍醐天皇足利尊氏の帰依を受ける。安国寺利生塔の建立を進言。恵林寺臨川寺天龍寺などを創建。五山文学を興隆させた。1351年(正平6年/観応2年)9月30日死去。77歳。夢窓国師正覚国師心宗国師普済国師玄猷国師仏統国師大円国師。 通称は七朝帝師。

目次

塔所・影堂

一覧

修行寺院


創建寺院


住職を務めた寺院

信仰

肖像画

  • 重要文化財「夢窓疎石像」自賛 無等周位筆、14世紀、京都妙智院蔵

国師号

  • 1333年(元弘3年)8月、後醍醐天皇から徽号「夢窓国師」を賜る。
  • 1346年(貞和2年)11月26日、光明天皇から徽号「正覚国師」を賜る。
  • 1351年(観応2年)8月15日、光厳天皇から徽号「心宗国師」を賜る。
  • 1358年(延文3年)9月6日、後光厳天皇から諡号「普済国師」を賜る。
  • 1372年(応安5年)9月29日、後円融天皇から諡号「玄猷国師」を賜る。
  • 1451年(宝徳3年)8月27日、後花園天皇から諡号「仏統国師」を賜る。
  • 1471年(文明3年)10月27日、後土御門天皇から諡号「大円国師」を賜る。

(『相国寺小史』)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%A4%A2%E7%AA%93%E7%96%8E%E7%9F%B3%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

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