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大伝法院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
大伝法院
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'''大伝法院'''は、[[高野山]]にあった[[真言宗]]寺院。[[根来寺]]の前身。平安時代末期、[[覚鑁]]が鳥羽上皇の帰依を得て創建。現在の[[金剛峰寺本坊]]、かつての[[青巌寺]]の地にあった。[[根来寺関連旧跡]]。 == 組織 == ===大伝法院座主1=== 『望月仏教大辞典』には以下のように記載する。 *1[[覚鑁]](1095-1143) *2真誉(1069-1137) *3行恵 *4信鑁 *5実禅 *6禅信 *7覚尋 *8定尋 *9行位 *10定尋 *11道厳 *12覚瑜 *13定豪(1152-1238):東寺長者、勝長寿院別当、鶴岡八幡宮別当。 *14覚瑜:再任。 *15寂尊 *16定豪:再任。 *17定観 *18行遍(1181-1264):東寺長者 *19教禅 *20禅助(1247-1330):東寺長者。 *21兼助 ===大伝法院座主2=== 「大伝法院座主補任次第」[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1053581/28]によると次のようになる。12世以降、天正年間まで[[仁和寺真光院]]が兼務したという。 *1真誉(1069-1137)<>:高野山持明院。 *2覚鑁(1095-1143)<>: *3神覚()<>: *4日禅()<>:浄厳房と号す。 *5隆海()<>:仁和寺釈迦文院。 *6覚尋()<>:仁和寺の僧。池上少納言。 *7尋海()<>:仁和寺寂光院。 *8覚瑜()<>:仁和寺真光院。 *9覚禅()<>:仁和寺胎金房。 *10道耀()<>:仁和寺勝宝院。 *11禅助(1247-1330)<>:仁和寺宝生院。 *12成助()<>:仁和寺真光院。仁和寺別当。 ===学頭=== *1教尋(?-1141):覚鑁の師。 *信慧(生没年不詳):覚鑁の弟。 *兼海(1107-1155):覚鑁の弟子。密厳院2世。円明寺2世。一度高野山を追放されるが後に帰山。[[高野山覚皇院]](廃絶)を開いた。 *証印(-1187):覚鑁の弟子。1177年(治承1年)、[[高野山大乗院]]を開く。 *融源(1120-1217):覚鑁の親族。 *頼瑜(1226-1304):1266年(文永3年)学頭就任。中性院と称す。高野山にも醍醐寺にも根来寺にも中性院があった。1288年(正応1年)高野山を離れ、根来寺に移る。 *順継(1260-?): *良殿(1264-1336): *俊晴 *7頼豪(1282-?):自坊は蓮華院。 *聖憲(1307-1392):中性院4世。 *11聖心(生没年不詳):仏厳ともいう。 *18聖心(生没年不詳):再任。 *睿憲 *道瑜(生没年不詳):自坊は十輪院。初めて能化と呼ばれる。 *頼誉(生没年不詳):小池坊を創建。 *玄性(生没年不詳):小池坊2世。 *21日秀(1495-1577):智積院に住す。 *22頼玄(1506-1584):小池坊4世。 *専誉()<>:長谷寺1世。 *秀算()<>:長谷寺4世。 [[Category:和歌山県]]
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