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大和・妙楽寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
大和・妙楽寺
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'''妙楽寺'''(みょうらくじ)は、大和国十市郡の多武峰にあった[[談山神社]]別当の[[天台宗]]寺院。'''多武峰寺'''。[[多武峰]]も参照。[[青蓮院門跡]]が多武峰別当を務めた。無動寺別院だったという。[[修験道]][[当山派]]の[[正大先達]]の一つ。廃絶。(参考:同名寺院[[妙楽寺]]) == 組織 == ===座主=== 住職。比叡山の僧侶が就任。 *定慧(643-665):藤原鎌足の長男。653年(白雉4年)入唐。長安の慧日道場で神泰に師事。665年(天智4年)12月23日死去。 *善珠:786年(延暦5年)多武峰に住す。 *延安:旧名は賢基。848年(嘉祥1年)多武峰に登る。863年(貞観5年)藤原良相の仲介で官符を賜る。864年(貞観6年)延安と改名。865年(貞観7年)検校となる。 *真昇:945年(天慶8年)在職 *玄念: *実性:紀伊国雑賀郡出身。紀氏。13歳で多武峰に登り、玄念に師事。919年(延喜19年)検校。947年(天暦1年)座主。権律師。955年(天暦9年)少僧都。956年(天暦10年)1月17日死去。65歳。 *春暹: *8尊睿:京都出身。河内守定成の子。1058年(康平1年)34歳で多武峰で出家。延暦寺恵心院。1007年(寛弘4年)死去。権律師。 *慶命: *貞昇: ===検校=== 座主の次位。多武峰の僧侶が就任。 *1延安()<>:座主。 *2玄念()<>:座主。 *実性()<>:座主。 *千満()<>:960年(天徳4年)在職。 *6泰善(生没年不詳)<>:975年(天延3年)浄土院を建てた。[[神武天皇]]神霊の託宣を受け、977年(貞元2年)、大和国守藤原国光の支援で[[神武天皇陵]]の近くに[[国源寺]]を創建。 *平救()<>:1005年(寛弘2年)在職。 *聖心()<>: *聖昭()<>:1014年(長和3年)荻田寺を創建。 *道安()<>:1025年(万寿2年)在職か。 *岑春()<>:1028年(長元1年)在職。 *善妙()<>:1034年(長元7年)[[山田寺]]で法華八講を始める。 *円寿()<>:1081年(永保1年)在職 *永深()<>:1108年(天仁1年)在職 *賢仁()<>:1157年(保元2年)在職。1171年(承安1年)の時点で前検校、86歳。 *静雅()<>:1169年(嘉応1年)在職。1171年(承安1年)の時点で前検校。 *慶深()<>:1173年(承安3年)焼失。 *俊観()<>:1175年(安元1年)在職。 *静胤()<>:1173年(承安3年)焼失後の復興に尽力。1197年(建久8年)当時に在職。 *観意()<>:1179年(治承3年)在職。1196年(建久7年)の時点で前検校、77歳。 ==資料== [[多武峰#資料]]を参照 [[category:奈良県]]
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