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大和・龍泉寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
大和・龍泉寺
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'''龍泉寺'''(りゅうせんじ)は、奈良県吉野郡天川村洞川(大和国吉野郡)にある[[修験道]][[当山派]]の寺院。本尊は[[弥勒菩薩]]。[[真言宗醍醐派]]大本山。[[大峰山寺]][[大峰山寺護持院|護持院]]の一つ。'''洞川龍泉寺'''。山号は大峰山。(参考:同名寺院[[龍泉寺]]) == 歴史 == *白鳳年間:[[天武天皇]]の勅願で、[[役小角]]が[[八大龍王]]を祀ったのが起源。 *812年(弘仁3年):[[空海]]、[[高野山]]開創以前に龍泉寺に留まり、八大龍王に雨乞いの祈祷を行った。 *平安時代:[[聖宝]]が復興。 *近世:「大峰山内道場」を称して、[[本山派]]と[[当山派]]の双方に所属した。 *正徳年間:英尊が本堂を建立。三宝院門跡の峰入りの際、[[蟷螂の窟]]の修行の後、龍泉寺で柴灯護摩を行なった。 *明治初年:神仏分離で[[吉野山]]の諸寺院が壊滅すると、その隙に乗じて大峰山登拝の拠点として飛躍的に存在感を高めた。 *1875年(明治8年):廃絶した山上蔵王堂(現在の[[大峰山寺]])の代わりに建てられた[[山上行者堂]]の「監守」に[[吉野・善福寺]]と共に認められた。 *1878年(明治11年):山上ケ岳に出張所を設置。 *1910年(明治43年):[[醍醐寺三宝院]]末となった。 *1941年(昭和16年)9月:別格本山に昇格。のち大本山。 *1946年(昭和21年):洞川大火で龍王堂のみ残して諸堂焼失。 *1960年(昭和35年):伽藍再建と共に境内の女人禁制を解除。 *2001年(平成13年):八大龍王堂を再建。 (日本歴史地名大系、修験道小事典、由緒書ほか) == 伽藍 == *本堂:本尊は[[弥勒菩薩]]。[[役小角]]・[[空海]]・[[聖宝]]・近畿三十六不動尊の[[不動明王]]も祀る。1946年(昭和21年)焼失。1960年(昭和35年)再建。 *龍の口の泉:[[善女龍王]]を祀る。泉は水行場となっている。大峰山に入峰する行者はここで禊を行う。 *八大龍王堂:[[八大龍王尊]]を祀る。1946年(昭和21年)の洞川大火で唯一焼け残った。2001年(平成13年)老朽化で再建。 *柴燈護摩道場: *御神木鎮魂不動堂:不動明王。 *弁才天堂:[[弁才天]]。 *神聖殿:役小角と聖宝と各講社先達・檀家の諸霊を祀る。 *大峰山第一水行場: *不動堂:行場がある。 *龍王の滝: *便殿庫裏:彦根城にあった[[大正天皇]]の行在所を移築したものという。 ==組織== ===歴代住職=== *柏村勝龍()<>: *羯磨真弘()<>: *岡田戒玉(1890-1966)<>:[[真言宗醍醐派]]管長。[[三宝院門跡]]。 *岡田育雄()<>: *岡田悦雄()<>: [[Category:奈良県]]
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