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大国主西神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年1月14日 (木)
大国主西神社(おおくにぬしのにし・じんじゃ)は兵庫県西宮市社家町にある大国主信仰の神社。祭神は大己貴命・少彦名命。官社論社。西宮神社境内末社。県社か。西宮神社関連旧跡。広田神社関連旧跡。
歴史
古代の大国主西神社
摂津国兎原郡にあった官社大国主西神社は中世には所在不明となっていた。 1735年成立の『摂津志』や1798年成立の『摂津名所図会』では大国主西神社を西宮神社に比定した。 西宮神社の起源が必ずしもはっきりしないので、その前身を大国主西神社に見出した推測である。 しかし西宮神社は武庫郡に属し、所在が合わない。ただし、郡境の移動があったとする説もある。 (『日本歴史地名大系』)
明治の混乱
この見解に基づき、1873年6月、西宮神社は大国主西神社と改称された。 翌年4月、村社から県社への昇格を申請。6月30日、県社大国主西神社となった。 ところが8月28日、教部省は先の決定を取り消し、社格を取り消し、大国主西神社と西宮神社を共に広田神社の摂社とした。
氏子総代が抗議したところ、11月7日、西宮神社と大国主西神社が共に広田神社摂社のまま県社と定められた。 現在の社殿(阿弥陀堂跡に移築された旧不動堂)が大国主西神社となったのはこの時点ともみられるがはっきりしない。 『神道史大辞典』府県社一覧には大国主西神社は記載しないのを始め、戦前の地誌にも県社大国主西神社の記載はないため、早期に県社の社格が取り消されたとみられる。 ただ「神社明細帳」には西宮神社境内神社のまま、県社大国主西神社とある。 (「廣田西宮分離、及び大国主西神社の件」[1]ほか)