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大坂・超願寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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+ | 614年(推古22年)、聖徳太子が用明天皇の冥福を祈るために創建。香木で自ら阿弥陀如来を刻んだ。太子は慧慈に学んだ後、慧観にこの寺を授けた。615年(推古23年)5月、勅により超願寺と称す。慧観は三重宝塔を建てて経典や仏舎利を納めた。舒明天皇の時代に火災があったため、宝塔に泥土を塗ったため土塔と称した。5世善観に聖武天皇が帰依して東大寺開眼に出仕したという。1338年(延元3年/暦応1年)28世真観が本願寺覚如に帰依。祐貞と改名。32世教祐の時、蓮如が滞在したという。実如の分骨を収められた。33世浄祐は内陣に列す。34祐賢の実子がなく、証如子の顕如の猶弟の兵部卿信乗が継ぎ、賢成院祐明と称す。 | ||
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2021年11月27日 (土) 時点における版
超願寺は大阪府大阪市天王寺区大道にある浄土真宗寺院。御坊。聖徳太子の創建。浄土真宗本願寺派。土塔御坊。竹本義太夫の墓がある。四天王寺関連旧跡。山号は土塔山。(参考:同名寺院超願寺)
614年(推古22年)、聖徳太子が用明天皇の冥福を祈るために創建。香木で自ら阿弥陀如来を刻んだ。太子は慧慈に学んだ後、慧観にこの寺を授けた。615年(推古23年)5月、勅により超願寺と称す。慧観は三重宝塔を建てて経典や仏舎利を納めた。舒明天皇の時代に火災があったため、宝塔に泥土を塗ったため土塔と称した。5世善観に聖武天皇が帰依して東大寺開眼に出仕したという。1338年(延元3年/暦応1年)28世真観が本願寺覚如に帰依。祐貞と改名。32世教祐の時、蓮如が滞在したという。実如の分骨を収められた。33世浄祐は内陣に列す。34祐賢の実子がなく、証如子の顕如の猶弟の兵部卿信乗が継ぎ、賢成院祐明と称す。