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大坂・願泉寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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'''願泉寺'''(がんせんじ)は大阪府大阪市浪速区大国にある[[浄土真宗]]寺院。[[浄土真宗本願寺派]]。[[西本願寺]][[院家]]か。山号は日下山。[[四天王寺関連旧跡]]。 == 歴史 == 603年(推古11年)、[[小野妹子]]の子の多嘉丸(多佳麿)が出家して永証と称して創建。[[聖徳太子]]の[[物部守屋]]征討および[[四天王寺]]建立に貢献したという。のち[[天台宗]]寺院となり木津山無量寿寺と称したが27世浄教(乗教)が[[蓮如]]に帰依。応仁年間に兵火で焼失。1507年(永正4年)現在地に復興した。 教龍は本願寺10世証如に近侍し、『天文日記』に「木津教竜」などとして登場する。1582年(天正10年)兵火で焼失。1597年(慶長2年)復興。石山合戦にも参加したがこの頃はまだ寺号はなかったらしい。1597年(慶長2年)の史料に初めて「願泉寺」と現れる。復興と同時に寺号を許可されたようだ。1625年(寛永2年)焼失。1714年(正徳4年)、31世定龍が再建。1724年(享保9年)に火災に見舞われた[[北御堂]]の本尊が一時遷座した。1945年(昭和20年)空襲で焼失。 歴代住職は[[四天王寺]]の[[天王寺楽所]]の楽人でもあり、[[西本願寺]]に所属してからも続いた。1884年(明治17年)に住職小野経龍(小野樟蔭)(1871-1943)が創設して以来、大阪雅亮会の事務所が置かれている。小野功龍(1936-2014)も奏者・音楽史学者だった。 また定龍の頃から茶人としても活動。伊達政宗が寄進した茶室泰慶堂があった。36世の降龍(1760-1858)は茶道に専念し、寺を弟の昇龍に譲り、木津宗詮として活躍。武者小路千家流木津家の祖となった。折口信夫の墓がある。 (日本歴史地名大系、国史大辞典) ==組織== ===歴代住職=== *1永証():[[小野妹子]]の八男という。 *22秀意(): *27浄教():[[蓮如]]に帰依して乗教と改名。 *28乗空():1507年(永正4年)現在地に再建。実如から阿弥陀如来画像 *29 *30教龍(): *31定龍():1582年(天正10年)兵火で焼失。武将として活躍。本願寺常住衆となる。1640年(寛永17年)死去。 *32 *33 *34 *35時龍(): *36降龍(1760-1858):木津宗詮。卜深庵初代。1760年(宝暦10年)生。1799年(寛政11年)[[聖護院宮]]が滞在。松江藩主松平治郷(不昧公)に近侍。茶人となり、武者小路千家に師事。[[紀伊徳川家]]に仕え[[大徳寺]]418世の宙宝宗宇に参禅し松斎と称した。1858年(安政5年)死去。 *37昇龍():院家に列す。 *38 *39 *40 *41小野経龍(1871-1943):大阪雅亮会を創設。小野樟蔭。 *42小野摂龍():初代雅亮会楽頭。 *43小野功龍(1936-2014):二代雅亮会楽頭 *44小野真龍(): [[Category:大阪府]]
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