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大峰七十五靡 - SHINDEN

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大峰七十五靡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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*75 [[柳の宿]]:一の坂行者堂が現存。近くには初花権現社がある。対岸の「柳の渡し」跡に灯籠が残る。
*75 [[柳の宿]]:一の坂行者堂が現存。近くには初花権現社がある。対岸の「柳の渡し」跡に灯籠が残る。
*74 [[丈六山]]:現在の吉野神宮の地。明治維新前には勝福寺があった。この寺には丈六の蔵王権現像を祀る蔵王堂があり、金峰山寺、安禅寺と並ぶ三蔵王堂の一つだった。丈六山の名もこれに由来。幕末の四十二宿の「丈六堂宿」。また一の蔵王、一の行場とも呼ばれた。吉野神宮造営のため、大規模に整地され、跡形もない。近くには四十二宿の一つ「峰之坊宿」だった峰薬師堂跡がある。
*74 [[丈六山]]:現在の吉野神宮の地。明治維新前には勝福寺があった。この寺には丈六の蔵王権現像を祀る蔵王堂があり、金峰山寺、安禅寺と並ぶ三蔵王堂の一つだった。丈六山の名もこれに由来。幕末の四十二宿の「丈六堂宿」。また一の蔵王、一の行場とも呼ばれた。吉野神宮造営のため、大規模に整地され、跡形もない。近くには四十二宿の一つ「峰之坊宿」だった峰薬師堂跡がある。
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*73 吉野山:金峰山寺。
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*73 吉野山:[[金峰山寺]]。
*72 [[吉野水分神社|水分社]]:靡となったのは近代以降。幕末には勝手神社が靡とされていた。
*72 [[吉野水分神社|水分社]]:靡となったのは近代以降。幕末には勝手神社が靡とされていた。
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*71 [[吉野・金峰神社|金精大明神]]
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*71 [[吉野・金峰神社|金精大明神]]:鳥居は金峰山二の鳥居で修行門と呼ばれる。幕末には鳥居宿という宿があったらしい。近くに蹴抜塔がある。
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*70 [[愛染宿]]
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*70 [[愛染宿]]:安禅寺があった。
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*69 [[二蔵宿]]
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*69 [[二蔵宿]]:由緒不詳。幕末には宿でも靡でもなかった。現在、山小屋があり、役行者の祠がある。
*68 [[浄心門]]
*68 [[浄心門]]
*67 [[大峰山寺|山上ケ岳]]
*67 [[大峰山寺|山上ケ岳]]

2016年12月12日 (月) 時点における版

大峯七十五靡 

緑の炎マークが靡

目次

概要

大峰七十五靡(おおみね・ななじゅうご・なびき)とは吉野大峰山にある修験道の霊場である。入峰修行の行場である。

75箇所にどこを当てるのかは異同があるが、宮家準『大峰修験道の研究』355-358に載せる、近世末期のものを基準とした。

歴史

一覧

参考文献

  • 宮家準『大峰修験道の研究』355-358、近世末期のもの
  • 森沢義信、2006『大峯奥駈道七十五靡』ナカニシヤ出版


参考文献

  • 宮家準『大峰修験道の研究』355-358

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%A4%A7%E5%B3%B0%E4%B8%83%E5%8D%81%E4%BA%94%E9%9D%A1」より作成

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