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大慈院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
大慈院
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'''大慈院'''(だいじいん)は、京都府京都市上京区の[[宝鏡寺門跡]]にあった[[尼門跡の院家寺院|院家級寺院]]。中世には尼門跡(比丘尼御所)だったが、江戸時代には宝鏡寺に取り込まれ、門跡扱いはされていない。明治維新で宝鏡寺に合併して廃絶。宝鏡寺は[[臨済宗]]だが、大慈院は[[浄土宗]]。塔頭に[[恵聖院]](瑞華院)があった。通称は'''南御所'''、'''御沙弥御所'''。 == 歴史 == 崇賢門院仲子(1339-1427)が創建。あるいは夢窓疎石が創建ともいう(『山州名跡志』)。 北山殿の中に創建され、のち二条富小路に移転。応仁の乱後には現在地にあった(『国史大事典』)。 中世には[[如導派]]で、[[五辻・長福寺]]の末寺だった。195石。 塔頭の[[恵聖院]]と瑞華院は同一寺院で、住職が広橋家の時は恵聖院と称し、日野家の時は瑞華院と称したという(「浄土宗寺院調書」)。恵聖院は1961年(昭和36年)、[[光照院門跡]]内に移転(『日本歴史地名大系』)。 ==組織== ===住職=== *崇賢門院(1339-1427):本願開基。広橋兼綱の娘。後円融天皇の生母。 *雲嶽真高(1369-1419):開基。[[足利義満]]の室。日野資康の娘。北山院の名で知られる。後小松天皇准母の号を持つ。 *(不明):後円融天皇皇女。 *栄山聖久(1395-1433):足利義満の娘。雲嶽真高の猶子。崇賢門院猶子。喝食御所と呼ばれた。 *聖紹():足利義満の娘。 *栄山聖芳:広橘兼宣の娘。 *(不明)(1429-1431):足利義教の娘。 *(不明):足利義持の娘。 *明山(?-1465):足利義持の娘。 *宗山真栄女王(1414-1453):伏見宮治仁王の王女。岡殿。(『日本人名大辞典』。『中世後期泉涌寺の研究』には後崇光院皇女の「明山真栄」。別人か) *慶山(?-1496):足利義政室。日野富子として知られる。(『日本人名大辞典』には1495年死去とある。) *光山聖俊(?-1505):足利義政の娘。 *光山覚音女王(1506-?):[[後柏原天皇]]皇女。岡殿。(『日本人名大辞典』) *(不明):一条兼良の娘。 *渓山理秀女王(1489-1532):御土御門天皇皇女。理琇。日野富子養女。宝鏡寺。(『日本人名大辞典』。『中世後期泉涌寺の研究では1543年没の「渓山」として記す) *伝山性賢(?-1577):足利義輝の娘。総持院、宝鏡寺。 *華庵理栄(?-1594):足利義植の娘。 *耀山(?-1618):足利義輝の娘。宝鏡寺。 *玉山理光(?-1681):鷹司信房の娘。耀山の弟子。本務は[[宝鏡寺]]。 *久巌理昌女王(1631-1656):後水尾天皇皇女。本務は宝鏡寺。 *義山理忠女王(1641-1689):後水尾天皇皇女。本務は宝鏡寺。 *徳巌理豊女王(1672-1745):後西天皇皇女。本務は宝鏡寺。 *逸巌理秀女王(1725-1764):中御門天皇皇女。本務は宝鏡寺。 *雲巌理欽内親王(1824-1842):光格天皇皇女。蓁子内親王。本務は宝鏡寺。 (『中世後期泉涌寺の研究』) ==画像== <Gallery widths="300" heights="200" perrow="3"> ファイル:宝鏡寺関係墓地-03.jpeg|[[真如寺]]の[[宝鏡寺宮墓地]]のそばにある大慈院関係の墓碑 </Gallery> [[Category:京都府]]
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