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大慶寿寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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明代初期にはのちに永楽帝の軍師となる[[臨済宗]]僧侶の姚広孝(独庵道衍)が住職となっていた。 | 明代初期にはのちに永楽帝の軍師となる[[臨済宗]]僧侶の姚広孝(独庵道衍)が住職となっていた。 | ||
明の正統13年(1448)に大改修が行われた。 | 明の正統13年(1448)に大改修が行われた。 | ||
+ | 嘉靖14年(1535)4月20日、火災で焼失。仏教統制を強めていた嘉靖帝は再建を許可しなかった。[[僧録司]]が置かれていたが、[[大隆善寺]]に移転した。 | ||
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伽藍は廃滅したが、近代まで至元4年(1267)に建てられた二つの磚塔が残っており、'''双塔寺'''と呼ばれた。しかし、この塔も1954年に取り壊された(「「長安街」歴史散策」人民中国インターネット版 2009年2月27日)。 | 伽藍は廃滅したが、近代まで至元4年(1267)に建てられた二つの磚塔が残っており、'''双塔寺'''と呼ばれた。しかし、この塔も1954年に取り壊された(「「長安街」歴史散策」人民中国インターネット版 2009年2月27日)。 |
2022年8月7日 (日) 時点における版
大慶寿寺は、中国北京にあった金朝皇室ゆかりの寺院。金5代皇帝の世宗が大定2年(1162)に、当時燕京と呼ばれていた都に創建。玄冥禅師顗公を開山とした。慶寿寺。大興隆寺。大慈恩寺。
明代初期にはのちに永楽帝の軍師となる臨済宗僧侶の姚広孝(独庵道衍)が住職となっていた。
明の正統13年(1448)に大改修が行われた。
嘉靖14年(1535)4月20日、火災で焼失。仏教統制を強めていた嘉靖帝は再建を許可しなかった。僧録司が置かれていたが、大隆善寺に移転した。
伽藍は廃滅したが、近代まで至元4年(1267)に建てられた二つの磚塔が残っており、双塔寺と呼ばれた。しかし、この塔も1954年に取り壊された(「「長安街」歴史散策」人民中国インターネット版 2009年2月27日)。
参考文献
- 鎌田茂雄、2001『新中国仏教史』大東出版社