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大極殿
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2019年4月30日 (火) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
大極殿は皇宮・都城の中心となった正殿。飛鳥時代に原型ができ、中世まで続いた。廃滅後は内裏の紫宸殿が中心となった。
目次 |
儀礼
儀礼
- 即位礼
- 朝賀
- 視告朔
神事
- 大嘗祭
- 例幣使発遣
- 神嘗祭使発遣:後殿の小安殿で行う。
- 斎宮群行
仏教行事
陰陽道
- 三万六千神祭
年表
盛衰
- 645年(大化1年):飛鳥板蓋宮に大極殿があったという。大極殿の初見。日本書紀
- 681年(天武10年):飛鳥浄御原宮に大極殿があった。日本書紀
- 701年(大宝1年):藤原宮に大極殿があった。続日本紀。遺跡も発見。
- 710年(和銅3年)頃:平城宮に大極殿。
- 743年(天平15年)頃:恭仁宮に平城宮大極殿を移築。のち山城国分寺金堂に転用。
- 784年(延暦3年)頃:長岡宮に後期難波宮の大極殿を移築か。小安殿が初めて設けられた。
- 791年(延暦10年):平安京の大極殿完成か。
- 876年(貞観18年)4月:大極殿焼失。
- 879年(元慶3年)10月8日:大極殿再建。三代実録
- 1058年(康平1年)2月:大極殿焼失。
- 1072年(延久4年)4月2日:大極殿再建。扶桑略記
- 1177年(治承1年)4月:大極殿焼失。再建されず。大極殿廃絶となった。
調査研究
- 1895年(明治28年):平安神宮拝殿として縮小復元。
- 2010年(平成22年):平城宮跡に平城宮第一次大極殿を復元。