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大江護国神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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大江護国神社は大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町にある招魂社官祭招魂社指定外護国神社大江神社内。境内に阿倍野官修墳墓があったが阿倍野墓地に改葬された。天王寺招魂社大江招魂社夕陽丘護国神社

1869年(明治2年)8月18日、山口藩大阪屋敷在勤者によって創建された。1864年(元治1年)の禁門の変以降の京阪で殉難した藩士宍戸久之進ら48柱を奉斎した。間口3尺、奥行3尺の流造の社殿だった。同時に墓碑48基も建てられた。その後、山口県同郷会が維持。1887年(明治20年)に社殿改修。これを機に、墓碑48基は阿倍野墓地に改葬された。1888年(明治21年)7月16日、毛利元徳らによる請願で官祭招魂社となった。1874年(明治7年)の国の調査で官祭招魂社になるべきところを漏れていたらしい。1919年(大正8年)11月、陸軍特別大演習で武庫離宮に行幸中の大正天皇が勅使海江田侍従を勅使として差遣。祭祀料を下賜。1932年(昭和7年)11月、大阪奈良陸軍特別大演習で昭和天皇が川岸侍従武官を差遣。祭祀料を下賜。1952年(昭和27年)10月9日、大江護国神社祭神は大阪護国神社に合祀された。(『大阪護国神社五十年史』)

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