ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

大泊表忠碑

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

2020年2月29日 (土) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
移動: 案内, 検索

大泊表忠碑は樺太庁大泊支庁大泊郡大泊町楠渓町にあった忠魂碑。のちの樺太護国神社の淵源に位置づけられる。

歴史

表忠碑は神楽岡の北にあった

日露戦争の樺太最大の激戦地だった大泊に「大泊表忠碑」建立。1908年(明治41年)1月8日、樺太守備隊司令官楠瀬中将の命で、黒住教樺太出派布教師の権訓導伴雄三郎(のち豊原神社社司として樺太招魂社を管理する)が斎主となり除幕式と招魂祭を行った(1907年(明治40年)10月起工し、1908年(明治41年)11月に竣工したとも)。石造の台座の上に、鹵獲したロシア軍艦「ノーウィック」の砲身を垂直に立てた。独立第13師団の戦没者51柱(81柱とも)を祀る。各地に仮埋葬されていた遺骨や遺灰を合葬した。1925年(大正14年)には皇太子時代の昭和天皇が「会釈」したという。 (『樺太忠魂史』『樺太の神社』)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%A4%A7%E6%B3%8A%E8%A1%A8%E5%BF%A0%E7%A2%91」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール