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大泊表忠碑
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年5月27日 (火)
大泊表忠碑は樺太庁大泊支庁大泊郡大泊町楠渓町にあった忠魂碑。戦没者80人を祀る。のちの樺太護国神社の淵源に位置づけられる。廃絶。大泊(コルサコフ)には亜庭神社、樺太出雲神社、本願寺大泊別院があった。
目次 |
歴史
日露戦争の樺太最大の激戦地だった大泊に「大泊表忠碑」建立。各地に仮埋葬されていた遺骨や遺灰を合葬した。1908年(明治41年)1月8日、樺太守備隊司令官楠瀬中将の命で、黒住教樺太出派布教師の権訓導伴雄三郎(のち豊原神社社司として樺太招魂社を管理する)が斎主となり除幕式と招魂祭を行った(1907年(明治40年)10月起工し、1908年(明治41年)11月に竣工したとも)。石造の台座の上に、鹵獲したロシア軍艦「ノーウィック」の砲身を垂直に立てた。独立第13師団の戦没者51柱(81柱とも)を祀る。1925年(大正14年)には皇太子時代の昭和天皇が「会釈」したという。 (『樺太忠魂史』『樺太の神社』)
- 1808年(文化5年):会津藩が表忠碑の場所あたりに陣営を構える(新撰大泊史、樺太13-6[1])。
- 1903年(明治36年)5月16日:日本領事館付属墓地を開設[2]。表忠碑建立までに49人埋葬(50人の墓標があったが1人は重複)。
- 1905年(明治38年):日露戦争(新撰大泊史)
- 1907年(明治40年)7月12日:墓地で招魂祭を神式と仏式で実施(樺太忠魂史[3])。
- 1907年(明治40年)10月7日:起工(新撰大泊史)。
- 1908年(明治41年)1月8日:除幕式・招魂祭(新撰大泊史、「表忠碑除幕式招魂祭祝詞」[4])。遺骨を改葬。50人の名を刻む(のちに1人重複と約30人の脱漏が判明[5])。「陸軍始め」の日。祭典日は占領記念日(西久保豊一郎少佐戦没日)の7月12日とし、大泊町民会が主催し、後に大泊町の主催となる。
- 1908年(明治41年)9月4日:釈雲照、表忠碑前で加持土砂法を修す(「雲照律師樺太巡錫略誌」[6])。
- 1908年(明治41年)11月16日:竣工(新撰大泊史)。1907年(明治40年)とも(樺太領有之先駆者西久保少佐[7])。
- 1915年(大正4年)10月24日:<豊原に樺太招魂社が鎮座。例祭日は7月12日>
- 1925年(大正14年)8月9日:樺太行啓中の皇太子時代の昭和天皇が午後4時10分過ぎ、お成り(『樺太庁施政三十年史・下』[8]、『皇太子殿下樺太行啓記』[9])。『海軍制度沿革』「行幸啓」[10]には「御展望所より表忠碑御覧」とある。高松宮と久邇宮も随行[11][12]。拝殿新築。境内や参道を改修し、大鳥居を建立(新撰大泊史)。
- 1927年(昭和2年):この年から祭典を樺太庁長官の管轄とする(新撰大泊史)。
- 1940年(昭和15年)6月5日:朝香宮鳩彦王、お成り[13]。
- 戦後:廃絶か。2003年(平成15年)時点で基壇のみ残っている(「海外神社(跡地)に関するデータベース」[14])。
合祀者
- 下記の他、戦没者として田代伊兵衛(靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。西久保神社合祀)がいる。
- 「樺太表忠碑由緒記」(「海外神社(跡地)に関するデータベース」[15])を基に、『樺太忠魂史』「樺太招魂社御祭神名簿」[16]、『靖国神社忠魂史4』「樺太の占領」[17]、『樺太領有之先駆者西久保少佐』「西久保神社」[18]を参考とした。
- 01:西久保豊一郎:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。西久保神社祭神。追分神社・女麗神社にも祀られた。
- 02:川井清照:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。
- 03:今村義男:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。西久保神社合祀。今村善男。
- 04:渡辺菊太郎:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。
- 05:新田義輝:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。
- 06:渡辺文太郎:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。
- 07:田中耕三:靖国神社特別合祀。樺太護国神社合祀。
- 08:久芳喜一:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。西久保神社合祀。
- 09:関口次三郎:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。
- 10:市原留吉:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。西久保神社合祀。
- 11:杉尾太郎左衛門:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。
- 12:林原三郎:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。西久保神社合祀。林源三郎とも。
- 13:石井徳太郎:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。
- 14:立花清徹:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。
- 15:宮川太吉:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。
- 16:遠藤要:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。
- 17:神崎勇吉:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。
- 18:福井美佐吉:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。福井美弥吉か。
- 19:白山甚之助:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。西久保神社合祀。
- 20:佐々木佐市:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。西久保神社合祀。
- 21:富田喜一郎:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。合葬前は富田喜十郎の墓標もあったが誤記とみられている。
- 22:中谷次郎市:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。西久保神社合祀。
- 23:塚本文太郎:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。西久保神社合祀。塚本紋次郎か。
- 24:久保田八郎:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。
- 25:直井金太郎:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。
- 26:中込孝一:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。
- 27:沢田市五郎:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。
- 28:笠井源吉:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。
- 29:渡辺鉄三郎:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。
- 30:林鈼雄:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。
- 31:伊藤幸太郎:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。
- 32:横山銀作:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。
- 33:堀井定吉:靖国神社特別合祀。樺太護国神社合祀。
- 34:山宮完吉:靖国神社に合祀されず。
- 35:深見平納:靖国神社に合祀されず。
- 36:小川佐次郎:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。西久保神社合祀。小川佐治郎か。
- 37:田野広蔵:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。
- 38:増田悦蔵:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。西久保神社合祀。
- 39:見波嘉一郎:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。西久保神社合祀。
- 40:樫村力蔵:靖国神社特別合祀。樺太護国神社合祀。
- 41:中村伊十:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。西久保神社合祀。中村伊一とも。
- 42:大貫鉄太郎:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。西久保神社合祀。
- 43:小泉維松:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。西久保神社合祀。小泉経松か。
- 44:門井政之助:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。西久保神社合祀。
- 45:中島松五郎:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。西久保神社合祀。
- 46:熊沢関蔵:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。西久保神社合祀。
- 47:田原初太郎:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。
- 48:井上久左衛門:靖国神社特別合祀。樺太護国神社合祀。
- 49:内田徳蔵:靖国神社特別合祀。樺太護国神社合祀。
- 50:野口照郎:靖国神社特別合祀。樺太護国神社合祀。
- 51:木村清市:靖国神社特別合祀。樺太護国神社合祀。
- 52:佐久間助三:靖国神社特別合祀。樺太護国神社合祀。
- 53:熊谷重次郎:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。熊谷重治郎とも。
- 54:佐谷戸喜久司:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。佐谷戸嘉久司とも。
- 55:五十嵐伝作:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。
- 56:庄司浅次郎:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。
- 57:茂木満太郎:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。
- 58:中沢一郎:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。
- 59:後藤熊蔵:靖国神社特別合祀。樺太護国神社合祀。
- 60:石井軍次郎:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。
- 61:桜井誠之助:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。
- 62:桜井由太郎:靖国神社特別合祀。樺太護国神社合祀。
- 63:福島円次郎:靖国神社特別合祀。樺太護国神社合祀。
- 64:宮崎謙吉:靖国神社特別合祀。樺太護国神社合祀。
- 65:前田小左衛門:靖国神社特別合祀。樺太護国神社合祀。
- 66:三富久吉:靖国神社特別合祀。樺太護国神社合祀。
- 67:石沢佐十:靖国神社特別合祀。樺太護国神社合祀。
- 68:熊沢勝司:靖国神社特別合祀。樺太護国神社合祀。
- 69:角田久太郎:靖国神社特別合祀。樺太護国神社合祀。
- 70:中野庄太郎:靖国神社特別合祀。樺太護国神社合祀。
- 71:佐藤治兵衛:靖国神社特別合祀。樺太護国神社合祀。
- 72:正木卯吉:靖国神社特別合祀。樺太護国神社合祀。
- 73:薄井英次郎:靖国神社特別合祀。樺太護国神社合祀。
- 74:木村和次郎:樺太民政署属。靖国神社や樺太護国神社には合祀されず。
- 75:江間元輔:樺太民政署属。靖国神社や樺太護国神社には合祀されず。
- 76:西村鴻三:樺太民政署事務嘱託。靖国神社や樺太護国神社には合祀されず。
- 77:松本文市:樺太民政署事務嘱託。靖国神社や樺太護国神社には合祀されず。
- 78:木村長作:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。
- 79:新谷角三郎:靖国神社合祀。樺太護国神社合祀。
- 80:角樋治一:靖国神社特別合祀。樺太護国神社合祀。