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大護国仁王寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年5月25日 (木)
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2023年5月25日 (木) 時点における最新版
大護国仁王寺は、元の大都(現・北京)にあったチベット仏教の寺院。元朝の勅建寺院。神御殿寺。花園大寺ともいう。現在の中央民族学院の一帯にあったという。フビライがパクパとの問答の中で建立の話が出て、1274年、創建。歴代帝師が居所とした。造営を担当したのがネパールから来たアニガで、彼が建てた寺院には白塔寺もある。高良河寺、高梁河寺、鎮国仁王寺、西鎮国寺。(参考:同名寺院護国寺_(同名))
参考文献
- 中村淳、1993「元代法旨に見える歴代帝師の居所―大都の花園大寺と大護国仁王寺」