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大阪・綱敷天神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
大阪・綱敷天神社
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[[ファイル:梅田綱敷天神社-06.jpeg|thumb|500px| ]] '''綱敷天神社'''(つなしき・てんじんしゃ)は大阪府大阪市北区神山町(摂津国西成郡)にある、[[菅原道真旧跡]]の[[天満宮]]。祭神は、「[[嵯峨天皇]]、菅原道真公」である(綱敷天神社ウェブサイト)。[[天満宮聖跡二十五霊社]]番外。村社。(参考:同名神社[[綱敷天満宮]]) 嵯峨天皇行幸の地に源融が[[太融寺]]を建て、その境内に嵯峨天皇社を創建したのが創始とされる。菅原道真は太融寺に参拝し、紅梅を鑑賞したという。これが'''梅塚'''である。このとき、船の綱を敷物としたため、綱敷の名が生じた。菅原道真に付き従った[[度会春彦]]はこの地で別れ、当地に留まった。社家白江家になったという。死去後、[[北野天満宮]]の創始を受けて、この地にも祀り、嵯峨天皇社と並んで祀ったという。暦応年間に兵火により焼失し、その後、両社は合祀した祀るようになった。梅塚の地には常安寺があり、御旅所の[[梅塚天満宮]]があったが、明治維新後、茶屋町に遷座した。一説には'''梅田'''の名称はこの梅塚に由来するという。また一説には'''キタ'''の名称も天満宮があった北野村に由来するという。村社。(『北野誌』29頁) ==画像== <gallery widths="300" heights="300" perrow="3"> File:Tsunashiki-tenjin-umeda-01.jpg| ファイル:梅田綱敷天神社-01.jpeg ファイル:梅田綱敷天神社-02.jpeg ファイル:梅田綱敷天神社-03.jpeg ファイル:梅田綱敷天神社-04.jpeg File:Tsunashiki-tenjin-umeda-02.jpg| ファイル:梅田綱敷天神社-05.jpeg ファイル:梅田綱敷天神社-06.jpeg ファイル:梅田綱敷天神社-07.jpeg ファイル:梅田綱敷天神社-08.jpeg ファイル:梅田綱敷天神社-09.jpeg ファイル:梅田綱敷天神社-10.jpeg ファイル:梅田綱敷天神社-11.jpeg </gallery> <gallery widths="300" heights="300" perrow="3"> file:綱敷天神社・御旅所1.jpg file:綱敷天神社・御旅所2.jpg </gallery> ==参考文献== *梅原達治1989(平成1)「松浦武四郎『聖跡二十五霊社順拝双六』」『札幌大学教養部教育研究』 *『北野誌』「全国天満宮所在地一覧」 *[[天満信仰#参考文献]] [[category:大阪府]]
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