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大阪・豊国神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
大阪・豊国神社
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[[ファイル:Hokoku-jinja-osaka (8).jpg|thumb|500px|豊国神社社殿]] ==概要== '''豊国神社'''(ほうこく・じんじゃ)は大阪府大阪市中央区大阪城にある[[豊臣秀吉]]を祀る[[霊社]]。[[領主奉斎神社]]。祭神は豊臣秀吉・豊臣秀頼・豊臣秀長(神社ウェブサイト)。当初は[[京都豊国神社]]の別社で大阪市街地中心部の中之島(大阪市北区)にあった。[[府社]]。[[豊臣氏の祭祀]]も参照。'''大阪城豊国神社'''。 ==奉斎== *[[豊臣秀吉]](1536-1598):豊国大明神。 *豊臣秀頼(1593-1615):秀吉の次男。1615年(元和1年)5月8日、大坂夏の陣で自刃。23歳。 *豊臣秀長(1541-1591):秀吉の異父弟。母は秀吉と同じ大政所。父は大政所が再婚した竹阿弥(筑阿弥)。常に秀吉の片腕として補佐した。1585年(天正13年)、大和郡山城主。1586年(天正14年)1月、参議従三位。10月権中納言。11月正三位。ついで従二位権大納言となり、「大和大納言」と呼ばれた。1591年(天正19年)1月22日、郡山城で病死。51歳。[[豊臣秀長墓|墓所]]は郡山城近くにある。菩提寺は[[大徳寺大光院]]、[[春岳院]]。大光院殿前亜相春岳紹栄大居士。羽柴秀長。 秀頼合祀は没地だからと推測できるが、秀長が合祀された理由は不詳。 ==歴史== 明治政府が豊国神社復興を命じた際、大阪城近辺に鎮座を求める運動があったが、結果的に墓所のある京都東山に建てられた([[京都豊国神社]])。一方で大阪に「別社」を建てることが決まり、1880年(明治13年)に中之島の仙台藩邸跡(現中央公会堂の地)に鎮座した。1912年(大正1年)、中央公会堂建設のため府立中之島図書館西に遷座。ながらく京都豊国神社の管轄下にあったが独立して1921年(大正10年)12月、府社に列格された。 1935年(昭和10年)頃から大阪市庁舎の増築のため、鎮座地の変更が求められたが戦時下で中断していた。戦後、1956年(昭和31年)に大阪市から再び要請があり1961年(昭和36年)1月、大阪城内の現在地に遷座した。旧社殿は大阪府豊中市の[[服部住吉神社]]に移築された。 境内社として白玉神社、玉繁神社、玉春神社、七夕神社、若永神社がある。 (神社ウェブサイト、日本歴史地名大系ほか) ==境内== *本社: *白玉神社: *玉繁神社: *玉春神社: *七夕神社: *若永神社: ==画像== <gallery perrow="3"> File:Hokoku-jinja-osaka_(1).jpg| File:Hokoku-jinja-osaka_(2).jpg| File:Hokoku-jinja-osaka_(3).jpg| File:Hokoku-jinja-osaka_(4).jpg| File:Hokoku-jinja-osaka_(5).jpg| File:Hokoku-jinja-osaka_(6).jpg| File:Hokoku-jinja-osaka_(7).jpg| File:Hokoku-jinja-osaka_(8).jpg| File:Hokoku-jinja-osaka_(9).jpg| </gallery> ==参考文献== *神社ウェブサイト *日本歴史地名大系 [[category:大阪府]]
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