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大阪・豊国神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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*豊臣秀長(1541-1591):秀吉の異父弟。郡山城で病死。
*豊臣秀長(1541-1591):秀吉の異父弟。郡山城で病死。
==歴史==
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明治政府が豊国神社復興を命じた際、大阪城近辺に鎮座を求める運動があったが、結果的に墓所のある京都東山に建てられた。一方で大阪に「別社」を建てることが決まり、1880年(明治13年)に中之島の仙台藩邸跡(現中央公会堂の地)に鎮座した。1912年(大正1年)、中央公会堂建設のため府立中之島図書館西に遷座。ながらく京都豊国神社の管轄下にあったが独立して1921年(大正10年)12月、府社に列格された。
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明治政府が豊国神社復興を命じた際、大阪城近辺に鎮座を求める運動があったが、結果的に墓所のある京都東山に建てられた([[京都豊国神社]])。一方で大阪に「別社」を建てることが決まり、1880年(明治13年)に中之島の仙台藩邸跡(現中央公会堂の地)に鎮座した。1912年(大正1年)、中央公会堂建設のため府立中之島図書館西に遷座。ながらく京都豊国神社の管轄下にあったが独立して1921年(大正10年)12月、府社に列格された。
1935年(昭和10年)頃から大阪市庁舎の増築のため、鎮座地の変更が求められたが戦時下で中断していた。戦後、1956年(昭和31年)に大阪市から再び要請があり1961年(昭和36年)1月、大阪城内の現在地に遷座した。旧社殿は大阪府豊中市の[[服部住吉神社]]に移築された。
1935年(昭和10年)頃から大阪市庁舎の増築のため、鎮座地の変更が求められたが戦時下で中断していた。戦後、1956年(昭和31年)に大阪市から再び要請があり1961年(昭和36年)1月、大阪城内の現在地に遷座した。旧社殿は大阪府豊中市の[[服部住吉神社]]に移築された。
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==脚注==
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2018年10月8日 (月) 時点における版


目次

概要

豊国神社は大阪府大阪市中央区大阪城にある豊臣秀吉を祀る霊社領主奉斎神社。祭神は豊臣秀吉・豊臣秀頼・豊臣秀長(神社ウェブサイト)。府社豊臣氏の祭祀も参照。大阪城豊国神社

奉斎

  • 豊臣秀吉(1536-1598):豊国大明神。
  • 豊臣秀頼(1593-1615):秀吉の次男。1615年(元和1年)5月8日、大坂夏の陣で自刃。23歳。
  • 豊臣秀長(1541-1591):秀吉の異父弟。郡山城で病死。

歴史

明治政府が豊国神社復興を命じた際、大阪城近辺に鎮座を求める運動があったが、結果的に墓所のある京都東山に建てられた(京都豊国神社)。一方で大阪に「別社」を建てることが決まり、1880年(明治13年)に中之島の仙台藩邸跡(現中央公会堂の地)に鎮座した。1912年(大正1年)、中央公会堂建設のため府立中之島図書館西に遷座。ながらく京都豊国神社の管轄下にあったが独立して1921年(大正10年)12月、府社に列格された。 1935年(昭和10年)頃から大阪市庁舎の増築のため、鎮座地の変更が求められたが戦時下で中断していた。戦後、1956年(昭和31年)に大阪市から再び要請があり1961年(昭和36年)1月、大阪城内の現在地に遷座した。旧社殿は大阪府豊中市の服部住吉神社に移築された。

境内社として白玉神社、玉繁神社、玉春神社、七夕神社、若永神社がある。

(神社ウェブサイト、日本歴史地名大系ほか)

境内

画像

参考文献


脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E3%83%BB%E8%B1%8A%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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