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大阪・豊国神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | '''豊国神社'''(ほうこく・じんじゃ)は大阪府大阪市中央区大阪城にある[[豊臣秀吉]]を祀る[[霊社]]。[[領主奉斎神社]]。祭神は豊臣秀吉・豊臣秀頼・豊臣秀長(神社ウェブサイト)。当初は[[京都豊国神社]]の別社で大阪市街地中心部の中之島(大阪市北区)にあった。[[府社]]。[[豊臣氏の祭祀]]も参照。'''大阪城豊国神社'''。 | + | '''豊国神社'''(ほうこく・じんじゃ)は大阪府大阪市中央区大阪城にある[[豊臣秀吉]]を祀る[[霊社]]。[[領主奉斎神社]]。祭神は豊臣秀吉・豊臣秀頼・豊臣秀長(神社ウェブサイト)。当初は[[京都豊国神社]]の別社で大阪市街地中心部の中之島(大阪市北区)にあった。[[府社]]。[[豊臣氏の祭祀]]も参照。'''大阪豊国神社'''。'''大阪城豊国神社'''。 |
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- | + | 1868年(明治1年)、明治政府が豊国神社再興を決めた時、大阪を鎮座地としていたが、結果的に墓所のある京都東山に変更された([[京都豊国神社]])。一方で、1875年(明治8年)4月7日、大阪にも「別社」を建てることを命じ、翌年7月3日、鎮座地を中之島の仙台藩邸跡(現中央公会堂の地)と定めた。1879年(明治12年)11月28日に鎮座した(ウェブサイトでは1880年(明治13年))。大阪城天守閣の方角に向かって東面して建てられた。1912年(大正1年)、中央公会堂建設のため府立中之島図書館西に遷座。7月29日に起工し、11月15日に遷座祭を行った。社殿は南面に改められた。ながらく京都豊国神社の管轄下にあったが独立して1921年(大正10年)12月、府社に列格された。社殿改修され1934年(昭和9年)10月26日に遷座祭。 | |
1935年(昭和10年)頃から大阪市庁舎の増築のため、鎮座地の変更が求められたが戦時下で中断していた。戦後、1956年(昭和31年)に大阪市から再び要請があり1961年(昭和36年)1月、大阪城内の現在地に遷座した。旧社殿は大阪府豊中市の[[服部住吉神社]]に移築された。 | 1935年(昭和10年)頃から大阪市庁舎の増築のため、鎮座地の変更が求められたが戦時下で中断していた。戦後、1956年(昭和31年)に大阪市から再び要請があり1961年(昭和36年)1月、大阪城内の現在地に遷座した。旧社殿は大阪府豊中市の[[服部住吉神社]]に移築された。 | ||
境内社として白玉神社、玉繁神社、玉春神社、七夕神社、若永神社がある。 | 境内社として白玉神社、玉繁神社、玉春神社、七夕神社、若永神社がある。 | ||
- | + | (神社ウェブサイト、『日本歴史地名大系』、『生ける豊太閤』ほか) | |
==境内== | ==境内== | ||
*本社: | *本社: | ||
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*神社ウェブサイト | *神社ウェブサイト | ||
*日本歴史地名大系 | *日本歴史地名大系 | ||
- | + | *『生ける豊太閤』[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055285/1] | |
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2018年10月8日 (月) 時点における版
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概要
豊国神社(ほうこく・じんじゃ)は大阪府大阪市中央区大阪城にある豊臣秀吉を祀る霊社。領主奉斎神社。祭神は豊臣秀吉・豊臣秀頼・豊臣秀長(神社ウェブサイト)。当初は京都豊国神社の別社で大阪市街地中心部の中之島(大阪市北区)にあった。府社。豊臣氏の祭祀も参照。大阪豊国神社。大阪城豊国神社。
奉斎
- 豊臣秀吉(1536-1598):豊国大明神。
- 豊臣秀頼(1593-1615):秀吉の次男。1615年(元和1年)5月8日、大坂夏の陣で自刃。23歳。
- 豊臣秀長(1541-1591):秀吉の異父弟。母は秀吉と同じ大政所。父は大政所が再婚した竹阿弥(筑阿弥)。常に秀吉の片腕として補佐した。1585年(天正13年)、大和郡山城主。1586年(天正14年)1月、参議従三位。10月権中納言。11月正三位。ついで従二位権大納言となり、「大和大納言」と呼ばれた。1591年(天正19年)1月22日、郡山城で病死。51歳。墓所は郡山城近くにある。菩提寺は大徳寺大光院、春岳院。大光院殿前亜相春岳紹栄大居士。羽柴秀長。
秀頼合祀は没地だからと推測できるが、秀長が合祀された理由は不詳。
歴史
1868年(明治1年)、明治政府が豊国神社再興を決めた時、大阪を鎮座地としていたが、結果的に墓所のある京都東山に変更された(京都豊国神社)。一方で、1875年(明治8年)4月7日、大阪にも「別社」を建てることを命じ、翌年7月3日、鎮座地を中之島の仙台藩邸跡(現中央公会堂の地)と定めた。1879年(明治12年)11月28日に鎮座した(ウェブサイトでは1880年(明治13年))。大阪城天守閣の方角に向かって東面して建てられた。1912年(大正1年)、中央公会堂建設のため府立中之島図書館西に遷座。7月29日に起工し、11月15日に遷座祭を行った。社殿は南面に改められた。ながらく京都豊国神社の管轄下にあったが独立して1921年(大正10年)12月、府社に列格された。社殿改修され1934年(昭和9年)10月26日に遷座祭。 1935年(昭和10年)頃から大阪市庁舎の増築のため、鎮座地の変更が求められたが戦時下で中断していた。戦後、1956年(昭和31年)に大阪市から再び要請があり1961年(昭和36年)1月、大阪城内の現在地に遷座した。旧社殿は大阪府豊中市の服部住吉神社に移築された。
境内社として白玉神社、玉繁神社、玉春神社、七夕神社、若永神社がある。
(神社ウェブサイト、『日本歴史地名大系』、『生ける豊太閤』ほか)
境内
- 本社:
- 白玉神社:
- 玉繁神社:
- 玉春神社:
- 七夕神社:
- 若永神社:
画像
参考文献
- 神社ウェブサイト
- 日本歴史地名大系
- 『生ける豊太閤』[1]