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天台宗の人物旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
天台宗の人物旧跡
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[[天台宗]]の[[諸師旧跡]]。 ==中国天台宗== *恵文(慧文)(生没年不詳):北斉の僧。一心三観の理を悟り、のちに天台宗の根幹教理となる。 *恵思(慧思)(515-577):智顗の師。[[衡山]]を拠点に活動。'''南岳恵思'''、'''南岳大師'''、'''思大和尚'''。 *[[智顗]](538-597):天台宗の開祖。'''智者大師'''、'''天台大師'''。 *潅頂(561-632):二祖。[[摂静寺]]、[[天台山]]。[[国清寺]]を創建。'''章安大師'''。 *智威(?‐680):三祖。 *慧威(634‐713):四祖。[[天宮寺]]に住す。'''天宮尊者'''。 *左渓玄朗(672-753?):五祖。傅大士の子孫という。[[左渓山]]に住した。 *[[鑑真]](688-763):天台典籍を請来し、日本に初めて天台宗を伝え、最澄による開宗の下地となる。 *湛然(711~782):六祖。玄朗の弟子。[[華厳宗]][[澄観]]と対立。中国天台宗中興の祖と言われる。'''荊渓尊者'''、'''妙楽大師'''。 *道邃(生没年不詳):七祖。湛然に師事。[[最澄]]の師。'''興道尊者'''。 *行満 *志遠():[[五台山]]の僧侶。円仁に天台を講ず。 ==朝鮮天台宗== *[[義天]](1055-1101):朝鮮天台宗の開祖。1085年入宋。慈弁従諌に天台宗を学ぶ。[[華厳]]も伝える。高麗の文宗の第4王子。大覚国師。 ==日本天台宗== ===飛鳥・奈良時代=== *'''[[聖徳太子]]'''(574-622):『法華経義疏』を著し、[[法華経信仰]]を宣揚。 *'''[[鑑真]]'''(688-763):天台典籍を請来し、日本に初めて天台宗を伝え、最澄による開宗の下地となる。[[東大寺戒壇院]]・[[唐招提寺]]を創建。 ===平安時代=== *'''[[最澄]]'''(767-822):日本[[天台宗]]の開祖。'''伝教大師'''。 *円澄(772-837):第2代天台座主。壬生氏。最澄の弟子。'''寂光大師'''。'''法鏡行者'''。 *光定(こうじょう)(779-858):[[延暦寺]]別当。伊予国出身で贄氏。最澄の弟子。師死後、大乗戒壇認可に奔走して実現。'''別当大師'''。 *義真(781-833):丸子氏。初代延暦寺座主。最澄の弟子でともに入唐。大乗戒壇設立を実現。'''修禅大師'''。 *'''[[円仁]]'''(794-864):[[山門派]]の開祖。'''慈覚大師'''。 *安慧(安恵)(795-868):第4代天台座主。大狛氏。最澄と円仁に学ぶ。 *円載(?-877):天台宗僧。大和国出身。最澄の弟子。承和5年(838)、入唐して教義の疑問を高僧に尋ねて日本に回答(『唐決』)を送る。円珍と確執があったという。破戒・悪行があったと言われるが、真相は不明。約40年間、唐に滞在し、帰国途中に遭難死。 *'''[[円珍]]'''(814-891):[[寺門派]]の開祖。義真の弟子。[[園城寺]]を中興。'''智証大師'''('''智證大師''')。 *遍昭(遍照)(816-890):円仁、円珍に師事。良岑氏。[[桓武天皇]]皇孫。仁明天皇崩御に際し出家。円仁から受戒。雲林院別当。[[元慶寺]]開山。'''花山僧正'''、'''僧正遍昭'''。 *惟首(826-893):第2代園城寺長吏。天台座主。近江国出身で御船氏。元慶寺で遍昭に灌頂を受ける。'''虚空蔵和尚'''。 *安然(841-?):三津氏。近江国出身。円仁、遍昭に師事。元慶寺座主。'''五大院大徳'''、'''阿覚大師'''。 *増命(843-927):園城寺長吏。第10代天台座主。桑内氏。延最に師事し、円仁、円珍からも学ぶ。宇多法皇に灌頂と菩薩戒を授ける。円珍に「智証大師」号下賜を実現。'''千光院'''。'''静観'''。 *桓算(寛算)(生没年不詳):怨霊となった。[[天満宮]]の眷属神。 *'''[[相応]]'''(831-918):櫟井氏。近江国出身。延暦寺の伽藍造営を進める。千日回峰行の祖。最澄に'''伝教大師'''号、円仁に'''慈覚大師'''号下賜を実現。'''相応和尚'''、'''建立大師'''。 *尊意(866-940):天台座主。京都出身で息長丹生氏。円珍から受戒。[[菅原道真]]の御霊を慰めたという。道真の師とも言われる。'''法性坊'''。 *浄蔵(891-964):三善清行の子。[[宇多法皇]]の弟子。[[平将門]]を調伏。'''浄蔵貴所'''。 *'''[[空也]]'''(903-972):日本の[[浄土教]]の先駆者。'''市聖'''、'''市聖人'''。 *'''[[性空]]'''(910-1007):[[播磨・円教寺]]開山。'''書写上人'''。 *'''[[良源]]'''(912-985):木津氏、近江国出身。'''慈恵大師'''('''慈慧大師''')。通称、'''元三大師'''。 *増賀(917-1003):[[多武峰寺]]の僧。[[橘氏]]。延暦寺で良源に師事。名利を嫌い、宮中で汚物を撒き散らすなど奇行を行ったという。聖の理想として信仰された。'''多武峰先徳'''。 *是算(生没年不詳):[[北野天満宮]]別当として[[曼殊院門跡]]を創建。[[菅原氏]]。 *余慶(よけい、よきょう)(919?-991):園城寺長吏。宇佐氏。[[法性寺]]座主。永祚元年、天台座主となるが、円珍系の就任に円仁系門徒が抗議。'''観音院僧正'''。 *'''[[源信]]'''(942-1017):[[浄土教]]の高僧。良源の弟子。『往生要集』著者。''恵心僧都''。'''横川僧都'''。 *'''尋禅'''(943-990):天台座主。貴族入寺の始め。 *覚運(953-1007):檀那流の開祖。'''檀那僧都'''。 *慶祚(955-1019):中原氏。園城寺で余慶に師事。園城寺別所として[[尾蔵寺]]と[[微妙寺]]を創建。'''龍雲坊先徳'''。 *覚超(960-1034):川流の祖。 *寂照(寂昭)(962-1034):天台宗僧。[[大江氏]]。源信らに学ぶ。長保5年(1003) 、源信の「疑問二十七条」を携えて入宋。宋の真宗皇帝から紫衣を下賜され、「'''円通大師'''」の諡号を賜る。杭州で死去。'''三河入道'''。 *明尊(みょうそん、めいそん)(971-1063):園城寺長吏。[[小野氏]]。天台座主を3日で辞任。園城寺戒壇設置を請願。[[小野道風]]の孫。[[一条天皇]]が帰依。'''円満院僧正'''。'''志賀僧正'''。 *皇慶(977-1049):谷流の祖。 *明快(985-1070):梨本流の祖。 *頼豪(1004-1084):園城寺の僧。実相房に住す。[[白河天皇]]の皇子誕生を祈願。園城寺戒壇設置運動に尽力し、一度許可を得るが、延暦寺の抗議で朝廷は撤回。恨みを抱えて死に、化鼠となって延暦寺を襲ったともされる。 *院尊(生没年不詳):院尊流の祖。 *成尋(1010-1081):[[大雲寺]]別当。入宋し、[[天台山]]、[[五台山]]を巡礼。宋の神宗から「'''善慧大師'''('''善恵大師''')」号下賜。中国で死去。『参天台五台山記』著者。 *長宴(1016-1081):大原流の祖。 *永意(?):蓮華流の祖。 *頼昭(?):双厳房流の祖。 *良祐(生没年不詳):三昧流の祖。 *'''[[増誉]]'''(1032-1116):[[修験道本山派]]の祖。初の[[熊野三山]]検校。[[聖護院]]の開山。[[園城寺]]長吏。天台座主。'''一乗寺僧正'''。 *行厳(1043-1123):仏頂流の祖。 *聖昭(?):穴太流の祖。 *忠済(?):味岡流の祖。 *澄豪(1049-1133):恵光房流の祖。 *覚猷(1053-1140):天台座主。'''鳥羽僧正'''。 *行尊(1057-1135):園城寺長吏。[[源氏]]。[[三条天皇]]の皇曾孫。天台座主に就任するが、山門派の抗議で辞任。[[鳥羽天皇]]護持僧。四天王寺別当。和歌に優れる。'''平等院大僧正'''。 *'''[[良忍]]'''(1072-1132):[[来迎院]]、[[浄蓮華院]]、[[大念仏寺]]を創建。'''大原声明'''の祖。[[融通念仏宗]]の開祖。'''聖応大師'''。'''光静房'''。'''光乗房'''。 *相実(1081-1165):法曼流の祖。 *快雅(?):功徳院流の祖。 *覚範(生没年不詳):智泉院流の祖。 *'''叡空'''(?-1179):[[円頓戒黒谷流]]の祖。藤原氏。良忍に師事。法然の師。'''慈眼房'''。 *[[皇円]](生没年不詳):法然の師。隆寛の叔父。『扶桑略記』編者。[[桜ケ池]]で入定。[[池宮神社]]。[[熊本・誕生寺]]。'''皇円大菩薩'''、'''肥後阿闍梨'''。 ===鎌倉時代=== *証真(生没年不詳):鎌倉時代前期の天台宗僧。平氏。慈円を補佐して、延暦寺の儀式を整備。初代総学頭。本覚思想を批判。宝地房。 *澄憲(1126-1203):安居院流唱導の祖。 *'''[[法然]]'''(1133-1212):[[浄土宗]]の開祖。黒谷流円頓戒を受け継ぐ。 *'''[[栄西]]'''(1141-1215):日本[[臨済宗]]の開祖、[[建仁寺]]の開山。葉上流の流祖。 *'''慈円'''(1155-1225):天台座主。歴史書『愚管抄』著者。'''慈鎮和尚'''、'''吉水僧正'''、'''前大僧正慈円'''。 *忠快(1159-1227):小川流の祖。平教盛の子。 *[[親鸞]](1173-1262):[[浄土真宗]]の開祖。'''見真大師'''。 *慈遍(生没年不詳):[[卜部氏]]。 *'''公暁'''(1200-1219):[[園城寺]]で受戒。[[鶴岡八幡宮]]別当。2代将軍源頼家の子。3代将軍源実朝を暗殺。 *'''[[道元]]'''(1200-1253):日本[[曹洞宗]]の開祖。'''承陽大師'''。 *'''[[円爾]]'''(1202-1280):臨済宗[[東福寺]]の開山。'''弁円'''、'''聖一国師'''。 *隆弁(1208-1283):園城寺長吏、鶴岡八幡宮別当。園城寺を復興。 *'''[[日蓮]]'''(1222-1282):[[日蓮宗]]の開祖。'''立正大師'''。 *恵尋(?-1289):[[黒谷流円頓戒]]の中興。 *興円(1262-1317):光宗・円観らとともに戒律復興に尽力。'''伝信和尚'''。 *光宗(1276-1350):[[元応寺流円頓戒]]の祖。興円に師事。[[山王神道]]の教典『渓嵐拾葉集』を著す。'''道宗'''ともいう。 *[[円観]](1281-1356):[[法勝寺流円頓戒]]の祖。遠国四戒壇を開く。'''慧鎮'''('''恵鎮''')。'''五国大師'''。 ===南北朝・室町時代=== *澄豪(1259-1350):西山流の祖。[[宝菩提院]]を創建。'''西山上人'''。 *長助法親王(1320-1361):彦山座主家の開祖。後伏見天皇の第6皇子。園城寺で修行し、のち豊前如法寺に入り、ついで英彦山霊仙寺に移る。以後、子孫が世襲。 *'''[[真盛]]'''(1443-1495):[[真盛派]](現・[[天台真盛宗]])の祖。[[西教寺]]開山。'''円戒国師'''、'''慈摂大師'''。 ===近世=== *'''[[天海]]'''(1536-1643):[[日光東照宮]]を創建。'''慈眼大師'''。 *天宥(1606-1674):[[羽黒山]]別当。天海に師事して、真言宗から天台宗に帰参し、羽黒山を天台宗に改宗。羽黒山を寛永寺の直末とし、中興の祖とされる。寛文8年(1668)4月、讒言により伊豆新島に配流となる。新島に墓がある。 *公海(1607-1695):天海の後継者。寛永寺2世。[[毘沙門堂]]を復興。東本願寺教如の孫。 *等順():[[寛永寺護国院]]住職。[[善光寺大勧進]]79世。[[善光寺信仰]]を宣揚。 *[[円空]](1632-1695):木食僧。天台宗の僧侶という説がある。 *[[妙立]](1637-1690):山門の戒律復興運動、天台律宗安楽院流の祖。延暦寺から追放される。 *霊空(1652-1739):天台律宗安楽院流の祖。安楽律院を中興。 *義瑞(1667-1737):園城寺の僧。寺門派での戒律復興運動の祖。山門派の妙立に師事。[[園城寺法明院]]を律院として創建。霊空とは対立。'''性慶義瑞'''。 *忍鎧(1670-1752):恵南流の祖。香道(米川流)で著名。'''空華庵'''、'''恵南'''、'''忍鎧子'''。 *[[乗因]](1683-1739):比叡山[[宝積院]]で学ぶ。[[戸隠山]]で[[修験一実霊宗神道]]を唱える。異端として[[八丈島]]に流罪。 *真流(1711-?):延暦寺僧。安楽律派を批判し、円頓戒の復興を主張。延暦寺安楽院の住職を務めるが、安永元年(1772)に安楽律派が再認可されて引退。 *敬光(1740-1795):園城寺の学僧。安楽院流に反駁。園城寺法明院住職。『山家正統学則』。 ===近代=== *[[輪王寺宮]][[公現法親王]]:最後の輪王寺宮。'''東武皇帝'''。'''北白川宮能久親王'''。 *小倉霊現(1886-1982):[[念法真教]]の開祖。'''親先生'''。 *岡野正道(1978-1900):[[孝道教団]]の開祖。 *信楽香雲():[[鞍馬弘教]]の開祖。 [[category:人物旧跡]]
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