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天童護国神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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1918年に日清戦争・日露戦争の戦死者を、1932年満州事変戦死者を合祀した(『日本歴史地名大系』)。 | 1918年に日清戦争・日露戦争の戦死者を、1932年満州事変戦死者を合祀した(『日本歴史地名大系』)。 | ||
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2023年7月8日 (土) 時点における版
天童護国神社は山形県天童市天童の舞鶴山の麓にある招魂社。官祭招魂社。指定外護国神社。天童・建勲神社に隣接。素道軒祠、素道軒守隆祠、天童招魂社、舞鶴宮とも。
歴史
戊辰戦争で自刃した天童藩家老の吉田守隆(吉田大八、素道軒、1832-1868)の像を1871年(明治4年)3月に祀ったのが起源(『靖国神社誌』、境内由緒書)。 天童藩は官軍の奥羽鎮撫使先導を命じられ、守隆は藩主代理として軍を率いるが、閏4月の天童の戦いで敗退。 追い込まれた天童藩は佐幕派に転じ、6月18日、守隆は自刃した。
1877年、戊辰戦争戦死者13人を合祀し、招魂社と改称した(『日本歴史地名大系』)。『靖国神社誌』にも祭神14柱とある。「明治九年以来官祭」(1916『山形県案内』)などとされるが、明治8年の招魂社への官費支給開始を受けてその対象に認定されたのが明治9年であり、明治34年の官祭招魂社制度の成立と共に官祭招魂社になったのだと思われる。
1918年に日清戦争・日露戦争の戦死者を、1932年満州事変戦死者を合祀した(『日本歴史地名大系』)。
資料
古写真[1]