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奈良監獄署跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2014年8月24日 (日)
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[[天理教]]([[天理教系信仰]])教祖[[中山みき]]が勾留された監獄。奈良奉行所の牢屋敷を受け継ぐ。明治15年(1882)10月29日、警察は中山みきら信者を呼び出し、大阪府奈良監獄署に12日間勾留した。明治17年(1884)8月の勾留のときには監獄署を出た中山みきは多数の信者に出迎えられ、警官が制止したが、猿沢の池のあたりで、一同が一斉に柏手を打って中山みきを拝んだという。現在、監獄署跡地の一部が[[天理教梅谷大教会|梅谷大教会]](もとは京都府木津川市梅谷にあった)の敷地になっている。「教祖御苦労の處」碑が建てられている。監獄署は明治後期に[[般若寺]]周辺に移転し、奈良少年刑務所として現存する。 | [[天理教]]([[天理教系信仰]])教祖[[中山みき]]が勾留された監獄。奈良奉行所の牢屋敷を受け継ぐ。明治15年(1882)10月29日、警察は中山みきら信者を呼び出し、大阪府奈良監獄署に12日間勾留した。明治17年(1884)8月の勾留のときには監獄署を出た中山みきは多数の信者に出迎えられ、警官が制止したが、猿沢の池のあたりで、一同が一斉に柏手を打って中山みきを拝んだという。現在、監獄署跡地の一部が[[天理教梅谷大教会|梅谷大教会]](もとは京都府木津川市梅谷にあった)の敷地になっている。「教祖御苦労の處」碑が建てられている。監獄署は明治後期に[[般若寺]]周辺に移転し、奈良少年刑務所として現存する。 | ||
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2014年8月24日 (日) 時点における最新版
天理教(天理教系信仰)教祖中山みきが勾留された監獄。奈良奉行所の牢屋敷を受け継ぐ。明治15年(1882)10月29日、警察は中山みきら信者を呼び出し、大阪府奈良監獄署に12日間勾留した。明治17年(1884)8月の勾留のときには監獄署を出た中山みきは多数の信者に出迎えられ、警官が制止したが、猿沢の池のあたりで、一同が一斉に柏手を打って中山みきを拝んだという。現在、監獄署跡地の一部が梅谷大教会(もとは京都府木津川市梅谷にあった)の敷地になっている。「教祖御苦労の處」碑が建てられている。監獄署は明治後期に般若寺周辺に移転し、奈良少年刑務所として現存する。 奈良県奈良市東笹鉾町 大和国添上郡