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妙円寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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妙円寺は鹿児島県日置市伊集院町徳重にある島津家ゆかりの曹洞宗寺院。島津義弘の菩提寺。元は徳重神社の地にあった。山号は法智山。

歴史

島津元久が1387年(元中4年/嘉慶1年)に石屋真梁(のち福昌寺開山。総持寺20世)を招いて伊集院城外北東に創建。 1390年(元中7年/明徳1年)に伊集院氏の寄進で創建されたともいう。 あるいはまた、長門の大内義弘が石屋真梁に強く帰依し、娘(法智妙円大姉)の菩提寺の創建を発願。石屋真梁は九州布教を志していたため、長門の地では実現しなかったが、大内義弘は島津元久に頼み込んで伊集院の地で創建を果たしたとも伝える。

その後、荒廃したが1470年(文明2年)に福昌寺6世の愚丘妙智が来て再興。愚丘妙智法嗣の虎渓昌隆(?-1505)は1487年(長享1年)妙円寺住職となり、朝廷から紫衣と広徳快安禅師を授与。 豊臣秀吉政権下で寺領が没収されたが、1604年(慶長9年)11月、島津義弘が自らの菩提寺と定めて復興。530石寄進。 1632年(寛永9年)の時点では375石だった。 1625年(寛永2年)、1750年(寛延3年)火災で焼失。歴代藩主の庇護を受けて復興した。 明治の廃仏毀釈で一時廃絶。 廃絶の年を1871年(明治4年)とするが、1869年(明治2年)12月には既に鹿児島藩は徳重神社の創建を命じている。 1880年(明治13年)、現在地に復興した。 (日本歴史地名大系、寺院ウェブサイトほか)

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