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宇和津彦神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年7月13日 (火)

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== 歴史 ==
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創建不詳。宇和津彦神は[[景行天皇]]皇子で宇和別氏の祖の国乳別皇子とされる。味〓高彦根神は792年、[[土佐神社]]から分霊して祀られた。『三代実録』885年2月10日、正六位から従五位下となる。
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創建不詳。宇和津彦神は[[景行天皇]]皇子で宇和別氏の祖の国乳別皇子とされる。味〓高彦根神は792年(延暦11年)、[[土佐神社]]から分霊して祀られた。『三代実録』885年(仁和1年)2月10日、正六位から従五位下となる。
かつては「神田が森」に祀られていたが、建久年間、[[橘氏]]が丸串に移して社殿造営。
かつては「神田が森」に祀られていたが、建久年間、[[橘氏]]が丸串に移して社殿造営。
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1503年、領主が山王宮と共に造営。1587年、戸田勝隆が社殿を没収した。
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1503年(文亀3年)、領主が山王宮と共に造営。1587年(天正15年)、戸田勝隆が社殿を没収した。
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1596年、藤堂高虎が宇和津彦神社と山王宮を再建。山王宮はこのとき、玉串森(榊森)に遷座。宇和津彦神社の玉串森遷座は伊達秀宗が社殿を建てた1632年のこととも、山王宮と同じ1596年のことともいう。1757年再建。1663年、山王宮は伊達宗利が宇和島城内に遷座し、分離した(現在の[[南予護国神社]]の地にあったが、[[丸之内和霊神社]]に合祀された)。
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1596年(慶長1年)、藤堂高虎が宇和津彦神社と山王宮を再建。山王宮はこのとき、玉串森(榊森)に遷座。宇和津彦神社の玉串森遷座は伊達秀宗が社殿を建てた1632年(寛永9年)のこととも、山王宮と同じ1596年(慶長1年)のことともいう。1757年(宝暦7年)再建。1663年(寛文3年)、山王宮は伊達宗利が宇和島城内に遷座し、分離した(現在の[[南予護国神社]]の地にあったが、[[丸之内和霊神社]]に合祀された)。
須賀浦に御旅所がある。
須賀浦に御旅所がある。

2021年7月13日 (火) 時点における最新版

宇和津彦神社(うわつひこ・じんじゃ)は愛媛県宇和島市野川新(伊予国宇和郡)にある神社。祭神は宇和津彦神・味〓高彦根神大己貴神。宇和島城下町の総鎮守とされた。国史見在社県社。 通称は一宮大明神

歴史

創建不詳。宇和津彦神は景行天皇皇子で宇和別氏の祖の国乳別皇子とされる。味〓高彦根神は792年(延暦11年)、土佐神社から分霊して祀られた。『三代実録』885年(仁和1年)2月10日、正六位から従五位下となる。 かつては「神田が森」に祀られていたが、建久年間、橘氏が丸串に移して社殿造営。 1503年(文亀3年)、領主が山王宮と共に造営。1587年(天正15年)、戸田勝隆が社殿を没収した。

1596年(慶長1年)、藤堂高虎が宇和津彦神社と山王宮を再建。山王宮はこのとき、玉串森(榊森)に遷座。宇和津彦神社の玉串森遷座は伊達秀宗が社殿を建てた1632年(寛永9年)のこととも、山王宮と同じ1596年(慶長1年)のことともいう。1757年(宝暦7年)再建。1663年(寛文3年)、山王宮は伊達宗利が宇和島城内に遷座し、分離した(現在の南予護国神社の地にあったが、丸之内和霊神社に合祀された)。

須賀浦に御旅所がある。 1871年(明治4年)8月、県社に列格した(神道史大辞典)。

国乳別皇子を祭神とする神社としては他に、福岡県久留米市の弓頭神社があり、その近くに国乳別皇子墓もある。

(『日本歴史地名大系』)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%AE%87%E5%92%8C%E6%B4%A5%E5%BD%A6%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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