ようこそ『神殿大観』へ。ただいま
試験運用中
です。
宇治・万福寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
宇治・万福寺
のソース
移動:
案内
,
検索
以下に示された理由により、このページの編集を行うことができません:
この操作は、
利用者
のグループに属する利用者のみが実行できます。
ページ
名前空間にあるページを編集する権限がありません。
このページのソースを閲覧し、コピーすることができます:
[[file:Kokudo0264.jpg|thumb|300px|万福寺中心部(国土地理院空中写真より)]] '''万福寺'''(まんぷくじ)は、京都府宇治市にある[[臨済宗]]の[[禅宗の本山寺院|本山寺院]]。本尊は釈迦如来。[[黄檗宗]]大本山。[[隠元隆琦]]が創建。徳川家綱を開基とする。中国風(明朝風)の伽藍を特色とする。山号は'''黄檗山'''。寺名は、開山の[[隠元隆琦]]が母国で住職を務めていた中国福建省の[[福建・万福寺|黄檗山万福寺]]にちなむ。[[専門道場]]が設置されている(黄檗山禅堂)。(参考:同名寺院[[万福寺]]) ==伽藍== *大雄宝殿 *法堂 *天王殿 *[[万福寺舎利殿|舎利殿]]: *伽藍堂 *開山堂 *[[万福寺威徳殿|威徳殿]]: *松陰堂 *看門寮 *亀趺 *斎堂 *三門 *慈光堂 *寿塔 *潜修禅 *禅堂 *祖師堂 *東方丈 *売茶堂 *八幡宮 *明恵記念碑 *有声軒 *龍目井 *聯燈堂 *京都華僑墓地 <Gallery widths="300" heights="200" perrow="3"> file:万福寺・その他 (1).JPG| file:万福寺・その他 (2).JPG| file:万福寺・その他 (3).JPG| file:万福寺・威徳殿 (4).JPG|威徳殿 file:万福寺・伽藍堂 (2).JPG|伽藍堂 file:万福寺・開山堂 (1).JPG|開山堂 file:万福寺・開山堂 (2).JPG| file:万福寺・開山堂 (3).JPG| file:万福寺・開山堂 (4).JPG| file:万福寺・開山堂 (5 ).JPG| file:万福寺・開山堂 (5).JPG| file:万福寺・開山堂 (6).JPG| file:万福寺・開山堂 (7).JPG| file:万福寺・開山堂 (8).JPG| file:万福寺・開山堂 (9).JPG| file:万福寺・開山堂 (17).JPG| file:万福寺・開山堂 (18).JPG| file:万福寺・開山堂 (19).JPG| file:万福寺・開山堂・松陰堂 (1).JPG|松陰堂 file:万福寺・開山堂・松陰堂 (2).JPG|松陰堂 file:万福寺・開山堂・大師号宣下 (1).JPG| file:万福寺・開山堂・大師号宣下 (2).JPG| file:万福寺・開山堂・大師号宣下 (3).JPG| file:万福寺・開山堂・大師号宣下 (4).JPG| file:万福寺・看門寮.JPG|看門寮 file:万福寺・亀趺 (1).JPG|亀趺 file:万福寺・亀趺 (2).JPG| file:万福寺・亀趺 (3).JPG| file:万福寺・亀趺 (4).JPG| file:万福寺・亀趺 (5).JPG| file:万福寺・亀趺001.JPG| file:万福寺・京都華僑墓地 (1).JPG|京都華僑墓地 file:万福寺・京都華僑墓地 (2).JPG| file:万福寺・京都華僑墓地 (3).JPG| file:万福寺・京都華僑墓地 (4).JPG| file:万福寺・京都華僑墓地 (5).JPG| file:万福寺・斎堂 (1).JPG|斎堂 file:万福寺・斎堂 (2).JPG|斎堂 file:万福寺・三門.JPG| 三門 file:万福寺・慈光堂.JPG|慈光堂 file:万福寺・舎利殿 (1).JPG|舎利殿 file:万福寺・舎利殿 (2).JPG|舎利殿 file:万福寺・舎利殿 (3).JPG|舎利殿 file:万福寺・舎利殿001.JPG| file:万福寺・寿塔 (2).JPG|寿塔 file:万福寺・寿塔 (3).JPG| file:万福寺・寿塔 (4).JPG| file:万福寺・寿塔 (5).JPG| file:万福寺・鐘楼 (1).JPG| file:万福寺・鐘楼 (2).JPG| file:万福寺・潜修禅.JPG| file:万福寺・禅堂 (3).JPG|禅堂 file:万福寺・禅堂 (4).JPG| file:万福寺・禅堂 (5).JPG| file:万福寺・禅堂 (6).JPG| file:万福寺・禅堂 (7).JPG| file:万福寺・祖師堂.JPG| file:万福寺・総門 (1).JPG| file:万福寺・総門 (2).JPG| file:万福寺・大雄宝殿.JPG| file:万福寺・天王殿 (2).JPG|天王殿 file:万福寺・天王殿 (3).JPG| file:万福寺・天王殿 (4).JPG| file:万福寺・天王殿 (5).JPG| file:万福寺・天王殿 (6).JPG| file:万福寺・天王殿 (7).JPG| file:万福寺・天王殿 (8).JPG| file:万福寺・天王殿 (9).JPG| file:万福寺・天王殿 (10).JPG| file:万福寺・天王殿 (11).JPG| file:万福寺・東方丈 (1).JPG|東方丈 file:万福寺・東方丈 (2).JPG|東方丈 file:万福寺・売茶堂 (1).JPG|売茶堂 file:万福寺・売茶堂 (2).JPG|売茶堂 file:万福寺・八幡宮.JPG|八幡宮 file:万福寺・法堂 (1).JPG|法堂 file:万福寺・法堂 (2).JPG| file:万福寺・法堂 (3).JPG| file:万福寺・法堂 (4).JPG| file:万福寺・法堂 (5).jpg| file:万福寺・明恵記念碑 (1).JPG|[[明恵]]記念碑 file:万福寺・明恵記念碑 (2).JPG|明恵記念碑 file:万福寺・明恵記念碑 (3).JPG|明恵記念碑 file:万福寺・有声軒 (1).JPG|有声軒 file:万福寺・有声軒 (2).JPG| file:万福寺・有声軒 (3).JPG| file:万福寺・龍目井.JPG|龍目井 file:万福寺・聯燈堂 (1).JPG|聯燈堂 file:万福寺・聯燈堂 (2).JPG| file:万福寺・聯燈堂 (3).JPG| file:万福寺・生飯台001.JPG| file:万福寺・大雄宝殿・勅額001.JPG| </Gallery> == 塔頭 == [[file:Kokudo0263.jpg|thumb|300px|宇治万福寺(国土地理院空中写真より)]] [[file:Kokudo0265.jpg|thumb|300px|隠元墓(国土地理院空中写真より)]] *松隠堂:隠元隆琦の塔所。 *天真院 *寿光院 *万松院 *東林院 *宝善院 *緑樹院 *聖林院 *獅子林院 *華蔵院 *〓光院 *龍興院 *慈福院 *法林院 *宝蔵院:鉄眼ゆかりの塔頭。 *別峰院 *万寿院 *紫雲院 *長松院 <Gallery widths="300" heights="200" perrow="3"> file:万福寺・塔頭・万寿院 (1).JPG|万寿院 file:万福寺・塔頭・万寿院 (2).JPG| file:万福寺・塔頭・万寿院 (3).JPG| file:万福寺・塔頭・万寿院 (4).JPG| file:万福寺・塔頭・万寿院 (5).JPG| file:万福寺・塔頭・万寿院 (6).JPG| </Gallery> ==組織== ===住職=== '''堂頭'''、'''住持'''とも称す。 *1[[隠元隆琦]](1592-1673)<1661->: *2木庵性〓(1611-1684)<1664->:来日僧。福建省出身。隠元隆琦の弟子。1655年(明暦1年)来日して長崎[[福済寺]]に住す。1664年(寛文4年)万福寺2世となる。将軍徳川家綱の帰依を得る。[[瑞聖寺]]を創建。「木菴性〓」。〓は「瑫」。 *3慧林性機(1609-1681)<1680->:来日僧。福建省出身。1654年(承応3年)46歳で師の隠元に従い来日。摂津[[仏日寺]]に住す。1680年(延宝8年)万福寺3世となる。 *4独湛性瑩(1628-1706)<1682->:来日僧。1654年(承応3年)46歳で師の隠元に従い来日。[[遠江・宝林寺]]、上野[[国瑞寺]]を創建。1682年(天和2年)万福寺4世となる。浄土教にも傾倒。 *5高泉性〓(1633-1695)<1692->:来日僧。福建省出身。隠元門下の慧門如沛の弟子。1661年(寛文1年)、隠元に招かれ来日。山城[[仏国寺]]を創建。1692年(元禄5年)万福寺5世となる。後水尾上皇に十牛頌を献上、将軍徳川綱吉に説法したという。〓は「潡」。 *6千呆性侒(1636-1705)<1696->:来日僧。福建省出身。師の即非如一と共に1657年(明暦3年)来日。[[長崎・崇福寺]]に住す。1696年(元禄9年)万福寺6世となる。 *7悦山道宗(1629-1709)<1705->:来日僧。福建省出身。1657年(明暦3年)来日。隠元、木庵に学ぶ。1705年(宝永2年)万福寺7世となる。 *8悦峰道章(1655-1734)<1707->:来日僧。浙江省出身。1686年(貞享3年)来日。1694年(元禄7年)独湛性瑩の法を継ぐ。1707年(宝永4年)万福寺8世となる。柳沢吉保に招かれ甲斐[[永慶寺]]を創建。 *9霊源海脈(1651-1717)<1716-1717>:自坊は長崎崇福寺。 *10旭如蓮昉(1664-1719)<1717-1719>: *11独文方炳(1656-1725)<1719-1723>: *12杲堂元昶(1663-1731?)<1723-1731?>:1733没? *13竺庵浄印(1696-1756)<1734-1739>:来日僧。浙江省出身。杲堂元昶の招きで来日。興福寺住職を経て1734年(享保19年)万福寺13世。1739年(元文4年)海宝寺に隠退。 *14龍統元棟(1663-1746)<1739-1742>:初の日本人住職。大坂出身。慧極道明の弟子。 *15大鵬正鯤(1691-1774)<1745-1748>:来日僧。福建省出身。1722年(享保7年)来日。全巌広昌の弟子。1745年(延享2年)万福寺15世に就任、1758年(宝暦8年)に再任。 *16百癡元拙(1683-1753)<1748-1753>:「百痴元拙」。 *17祖眼元明(1673-1757)<1754-1757>: *18大鵬正鯤(1691-1774)<1758-1765>:再任。 *19仙巌元嵩(1684-1763)<1763-1763>:近江出身。梅嶺道雪の弟子。仙台藩主伊達宗村に招かれ、万年寺を創建。1763年(宝暦13年)3月27日、万福寺19世。晋山式を行う前に8月28日死去。 *20伯珣照浩(1695-1776)<1765-1775>:「伯珣照皓」。 *21大成照漢(1709-1784)<1775-1784>:最後の中国人住職。 *22格宗浄超(1711-1790)<1785-1790>: *23蒲庵浄英(1722-1796)<1792-1796>: *24石窓衍劫(1724-1799)<1797-1799>: *25華頂文秀(1740-1827)<1800-1809>: *26妙庵普最(1745-1821)<1809-1821>:「妙菴普最」。 *27金猊浄踞(1759-1826)<1822-1826>: *28梅嶽真白(1766-1829)<1827-1829>:「梅岳真白」。 *29璞巌衍曜(1767-1836)<1831-1836>:黄河浄清の弟子。河内長楽寺住職、長崎聖福寺監寺を経て1831年(天保2年)、万福寺29世。「璞岩衍曜」。 *30独旨真明(1776-1840)<1837-1840>: *31若存通用(1776-1850)<1841-1846>: *32楚洲如宝(1791-1850)<1846-1850>: *33良忠如隆(1793-1868)<1851-1858?>: *34瑞雲悟芳(1798-1869)<1857-1869>: *35独唱真機(1815-1889)<1870-1872>:花岩真機。 *36金獅広威(1823-1878)<1872-1877>:津呂金獅。江戸出身。松洞仁翠の弟子。興国寺、仏国寺を歴住して1872年(明治5年)万福寺36世となる。 *37万丈悟光(1815-1902)<1877-1880>:光万丈。豊前出身。荒瀬。鶴洲達峰、良忠如隆に学ぶ。1877年(明治10年)万福寺37世。 *38道永通昌(1836-1911)<1880-1883>:林道永。伊勢出身。林。良忠如隆、実聞真聴、万丈悟光に学ぶ。天聖院住職を経て1880年(明治13年)万福寺38世となる。 *39霖龍如沢(1805-1883)<1883-1883>:山野如沢。 *40観輪行乗(1826-1896)<1884-1896>:多々羅観輪。仙台出身。板垣。良忠如隆の弟子。1884年(明治17年)万福寺40世。 *41虎林嘩嘯(1835-1902)<1900-1902>:吉井虎林。自坊は万福寺瑞光院。瑞光派。懶翁文常の法嗣。肥前国小城郡出身。1835年生。1902年10月15日死去。 *42蓬山真仙(1820-1904)<1903-1904>:佐伯蓬山。万寿派宝蔵下。 *43紫石聯珠(1842-1914)<1906-1911?>:鷲峰紫石。 *44柏樹嘩森(1837-1925)<1911-1916>:高津柏樹。自坊は大阪瑞龍寺。瑞光派。月桂通中、独唱真機の法嗣。豊前小倉藩士青柳彦十郎の次男。1837年生。1869年、万福寺の紀綱改革に参加。豊前養徳院住職。1872年、黄檗宗宗務代理。1873年、神奈川県小教院長。1879年、訓盲院の創設に尽力。1911年6月11日、管長。1916年12月5日退任。1925年9月1日死去。室号は銘々室。 *45英巌通璋(1842-1926)<1916-1918>:龍岡英巌。 *46大雄弘法(1849-1929)<1918-?>:隆琦大雄。 *47直翁広質(1867-1937)<1925-1932>:星野直翁。 *48義道弘貫(1875-1948)<1932-1939>:関義道。自坊は奈良発志院。万寿派吸江下。道永通昌の法嗣。奈良県北葛城郡出身。1875年生。1932年11月管長。1948年7月28日死去。室号は臥龍室。 *49玉田真璞(1871-1961)<1939-1946>:山田玉田。宗務総長。獅子林派真光下。道永通昌の法嗣。愛知県蟹江町出身。1971年生。三重県の観音寺、智福寺に住す。師家として多くの弟子を育てた。1939年12月、万福寺住職就任。1946年10月、退任。1961年4月15日死去。室号は深省室。 *50徳寧正悌(1878-1948)<1946-1948>:近藤徳寧。自坊は神奈川瑞応寺。万寿派長松下。梅芳香の法嗣。神奈川県湯河原町出身。1878年生。1946年10月、管長。1948年10月13日死去。室号は有隣軒。 *51不説仁説(1891-1962)<1948-1956>:寺岡不説。自坊は兵庫正法寺。宗務総長。万寿派別峰下。英巌通璋の法嗣。兵庫県飾磨郡出身。1891年生。1948年12月から1956年まで管長。1962年1月3日死去。室号は無字室。 *52道元仁明(1877-1966)<1956-1963>:渓道元。万松派。密道仁超の法嗣。京都府宮津市出身。1877年生。青年時代に中国やインドの仏跡を巡礼。佐賀普明寺、滋賀正明寺、万福寺朝鮮別院覚心寺、万福寺万松院などに住す。1956年から1963年まで管長。1966年12月30日、死去。 *53冝豊永昌(1880-1963)<1963-1964>:木村冝豊。三鷹禅林寺中興。瑞光下。俊道雄の法嗣。大阪市出身。1880年生。1935年嗣法。1963年5月、管長。1964年2月28日、在職で死去。 *54弘道弘久(1887-1967)<1964-1967>:中村弘道。宗務総長。万寿派宝蔵下。三重県亀山市出身。1887年生。大阪東大寺などや万福寺宝蔵院や万福寺万寿院を歴任。1945年、滋賀県大津市に孤児のための湘南学園を開設。1964年10月、管長。1967年2月6日、在職中に死去。 *55慈光通照(1898-1973)<1967-1973>:加藤慈光。獅子林派。玉田真璞の法嗣。三重県四日市市出身。1898年生。三重県の地蔵寺、観音寺、万福寺真光院の住職を歴任。1921年嗣法。1967年、管長。在職中の1973年1月25日死去。室号は長寧庵。 *56禅梁智棟(1897-1984)<1973-1980>:安部禅梁。万松派。玉田真璞の法嗣。滋賀県彦根市出身。1897年生。滋賀県の正明寺、禅林寺、慈恩寺の住職を歴任。1973年4月1日から1980年まで管長。1984年1月3日死去。室号は龍王窟。 *57玄妙広輝(1913-1988)<1980-1987>:村瀬玄妙。自坊は万福寺緑樹院。万寿派緑樹下。玉田真璞の法嗣。長野県北佐久郡出身。1913年1月17日生。普賢寺で得度。1937年、禅門高等学院卒。1971年、青少年文化研修道場を開設。1980年から1987年まで管長。1988年2月13日死去。室号は金剛軒、棲賢室。 *58行朗仁伝(1911-1999)<1987-1994>:奥田行朗。自坊は東京弘福寺。万寿派長松下。東京出身。1911年生。1987年4月1日から1994年まで管長。1999年2月4日死去。 *59文照興質(1922-2006)<1994-2001>:林文照。自坊は北九州円通寺。広寿派瑞光下。皓滋智温の法嗣。福岡県企救郡出身。1922年生。1931年得度。1946年駒沢大学卒。1994年4月1日から2001年3月31日まで管長。2006年4月23日死去。室号は大象室。 *60泰山智深(1929-2021)<2001-2008>:仙石泰山。万寿派。玄妙広輝の法嗣。大分県出身。1929年10月6日生。大分県観音寺で得度。1948年、掛塔。鳥取道寧寺住職。万福寺万寿院住職。1987年、黄檗山禅堂師家。2001年4月1日、管長。全日本煎茶道連盟会長。退任後、福岡県宝福寺住職。2021年2月26日死去。91歳。室号は蒼龍軒。 *61亘令興宗(1941-2014)<2008-2014>:岡田亘令。瑞光派。玄妙広輝の法嗣。福岡県出身。1941年生。万福寺瑞光院住職。2008年4月管長。2014年12月26日、在職で死去。73歳。室号は九皐庵。 *62博道正明()<2015->:近藤博道。駒沢大学卒。教学部長、宗会議長、禅堂師家を歴任。万福寺万寿院住職。2015年3月25日管長。10月27日、晋山式。 *44世までの人名は『日本仏教人名辞書』 *経歴は永明寺ウェブサイト「黄檗宗僧侶名鑑」[http://www.biwa.ne.jp/~m-sumita/BAKUSOU.html]など。 ===執事長=== 宗務総長が兼任。'''監寺'''とも呼ばれる。 ===師家=== 黄檗山禅堂師家。1663年(寛文3年)開単。 *玉田真璞(1871-1961)<>:山田玉田。万福寺49世。 *鈴木晧慈(1896-1972)<1946->:自坊は伏見仏国寺。玉田真璞の法嗣。朝鮮慶尚南道昌原郡の出身。1896年生。俗名は金鼎堂。聖住寺で得度。 *鈴木晧慈(1896-1972)<1962->: *和田文承()<>:室号は玄芳室。 *東策明全(1914-)<1976-1980>:戸並東策。自坊は滋賀松尾寺。安部禅梁の法嗣。愛知県出身。1914年生。飛騨禅昌寺で得度。円福僧堂、平林僧堂、黄檗山禅堂に掛塔。1976年、黄檗山禅堂師家。1980年、引退して滋賀松尾寺住職。室号は獅子窟。 *泰山智深(1929-)<1987->:仙石泰山。万福寺60世。 *松本普成(1938-)<1999-2001>:梶浦逸外の法嗣。長崎霊源院住職。1999年、黄檗山禅堂師家。2001年、霊源僧堂を開単し、師家となる。室号は玄関窟。 *亘令興宗(1941-2014)<>:岡田亘令。万福寺61世。 *博道正明()<2010->:近藤博道。万福寺62世。2010年4月師家。室号は蘭若室。 [[Category:京都府]]
宇治・万福寺
に戻る。
表示
ページ
議論
ソースを表示
履歴
個人用ツール
案内
神殿大観 メイン
神殿大観 総目次
おまかせ表示
検索
ツールボックス
リンク元
関連ページの更新状況
ファイルをアップロード
特別ページ