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安土城

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年5月23日 (日)

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'''安土城'''は滋賀県近江八幡市安土町(近江国蒲生郡)にあった[[織田信長]]の城。
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'''安土城'''は滋賀県近江八幡市安土町(近江国蒲生郡)にあった[[織田信長]]の城。標高199mの安土山にある。
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== 一覧 ==
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==歴史==
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*織田信長墓
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*1576年(天正4年)1月17日:織田信長、丹羽長秀を奉行として建設を命じる。総見寺も同時に建てられたとされる。琵琶湖の内湖で北東西の三方を囲まれていた。
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*[[近江・総見寺]]
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*1579年(天正7年)5月:天主閣が竣工。
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*[[石部神社]]
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*1579年(天正7年):[[浄厳院]]で安土問答。
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*[[沙沙貴神社]]
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*1581年(天正9年):[[安土セミナリヨ]]開設。
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*1582年(天正10年)6月2日:本能寺の変で織田信長自刃。
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*1582年(天正10年)6月15日:安土城焼失。火災の原因は明らかでない。総見寺は焼け残る。
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*1583年(天正11年)1月:伝承によれば豊臣秀吉が織田秀信に年賀のため訪れ、2月に二の丸跡に信長の太刀・烏帽子・直垂などを埋葬。6月1日に盛大に一周忌を行ったという。
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*1585年(天正13年):豊臣秀頼の八幡山城築城にともない、安土城は廃城。
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*1688年(元禄1年):「安土古城図」
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*1842年(天保13年)4月8日:「護国駄都塔」建立。
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*1854年(安政1年)11月16日:総見寺火災で三重塔と仁王門を残して焼失。
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*1926年(昭和1年):史跡。
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*1932年(昭和7年):総見寺仮本堂を徳川家康邸跡に建立。
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*1940年(昭和15年):天主の発掘調査
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*1941年(昭和16年):本丸の発掘調査。
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*1952年(昭和27年):特別史跡。
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*1960年(昭和35年)から1975年(昭和50年)まで石垣整備。
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*1983年(昭和58年):400回忌で南面の整備。
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*1999年(平成11年):本丸発掘調査
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== 城内 ==
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===天主閣===
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地上6階、地下1階の高さ33mの天主閣があったとされる。中には宝塔があった。
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狩野永徳による障壁画で飾られていた。
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28m四方の平地が残る。礎石が整然と並ぶ。
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1940年(昭和15年)に発掘調査。
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===本丸御殿===
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千畳敷と呼ばれる東西50m・南北34mの区画がある。1941年(昭和16年)と1999年(平成11年)の発掘調査により東西34m、南北24mに119個の礎石が並び、中庭を挟んで3棟の建物からなることが判明。[[清涼殿]]に酷似した構造になっていたことが判明した。織田信長は天皇の安土城行幸を計画していた。『信長公記』によれば安土城天主の近くに「一天の君・万乗の主の御座御殿」である「御幸の御間」と呼ばれる建物があり、その中に「皇居の間」があったという。本丸御殿がこれに該当すると考えられている。
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===織田信長墓===
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二の丸跡
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[[織田信長墓_安土城伝承地]]
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===織田信雄家墓地===
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長谷川秀一邸跡
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*織田信雄:宇陀松山藩1代
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*織田高長:宇陀松山藩2代
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*織田長頼:宇陀松山藩3代
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*織田信武:宇陀松山藩4代
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===旧総見寺===
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[[近江・総見寺]]
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===現総見寺===
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徳川家康邸跡
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===その他===
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*牛頭天王:北端にあった。(安土古城図)
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*天神:西端にあった。(安土古城図)
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==城下町など==
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*[[安土・石部神社]]
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*新宮神社
*[[活津彦根神社]]
*[[活津彦根神社]]
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*[[平等寺]]
 
*[[浄厳院]]
*[[浄厳院]]
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*[[安土セミナリヨ]]:1581年(天正9年)イタリア人宣教師オルガンティノが創建。推定地があるが遺構は発見されていない。
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*[[沙沙貴神社]]
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*常楽寺:沙沙貴神社の神宮寺という。跡地不明。地名のみ残る。
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*東南寺
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*八日堂:弁財天を祀る。明智光秀邸跡という。
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*[[本願寺八幡別院|本願寺御坊]]:常楽寺地区にあったと推定される。1592年(文禄1年)八幡山城下町に移転。
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*西光寺:字貞安にあったと推定される。1580年(天正8年)貞安が創建。1586年(天正14年)八幡山城下町近くに移転。織田信長五輪塔がある。
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*正福寺:跡地不明。玉念が創建。1585年(天正13年)八幡山城下町に移転。
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==周辺==
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*平等寺
*[[奥石神社]]
*[[奥石神社]]
*[[観音正寺]]
*[[観音正寺]]
*[[教林坊]]
*[[教林坊]]
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*[[セミナリオ]]
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*天満宮
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*[[大善寺]]
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*大善寺
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*岩戸山十三仏
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2021年5月23日 (日) 時点における最新版

安土城は滋賀県近江八幡市安土町(近江国蒲生郡)にあった織田信長の城。標高199mの安土山にある。

目次

歴史

  • 1576年(天正4年)1月17日:織田信長、丹羽長秀を奉行として建設を命じる。総見寺も同時に建てられたとされる。琵琶湖の内湖で北東西の三方を囲まれていた。
  • 1579年(天正7年)5月:天主閣が竣工。
  • 1579年(天正7年):浄厳院で安土問答。
  • 1581年(天正9年):安土セミナリヨ開設。
  • 1582年(天正10年)6月2日:本能寺の変で織田信長自刃。
  • 1582年(天正10年)6月15日:安土城焼失。火災の原因は明らかでない。総見寺は焼け残る。
  • 1583年(天正11年)1月:伝承によれば豊臣秀吉が織田秀信に年賀のため訪れ、2月に二の丸跡に信長の太刀・烏帽子・直垂などを埋葬。6月1日に盛大に一周忌を行ったという。
  • 1585年(天正13年):豊臣秀頼の八幡山城築城にともない、安土城は廃城。
  • 1688年(元禄1年):「安土古城図」
  • 1842年(天保13年)4月8日:「護国駄都塔」建立。
  • 1854年(安政1年)11月16日:総見寺火災で三重塔と仁王門を残して焼失。
  • 1926年(昭和1年):史跡。
  • 1932年(昭和7年):総見寺仮本堂を徳川家康邸跡に建立。
  • 1940年(昭和15年):天主の発掘調査
  • 1941年(昭和16年):本丸の発掘調査。
  • 1952年(昭和27年):特別史跡。
  • 1960年(昭和35年)から1975年(昭和50年)まで石垣整備。
  • 1983年(昭和58年):400回忌で南面の整備。
  • 1999年(平成11年):本丸発掘調査

城内

天主閣

地上6階、地下1階の高さ33mの天主閣があったとされる。中には宝塔があった。 狩野永徳による障壁画で飾られていた。 28m四方の平地が残る。礎石が整然と並ぶ。

1940年(昭和15年)に発掘調査。

本丸御殿

千畳敷と呼ばれる東西50m・南北34mの区画がある。1941年(昭和16年)と1999年(平成11年)の発掘調査により東西34m、南北24mに119個の礎石が並び、中庭を挟んで3棟の建物からなることが判明。清涼殿に酷似した構造になっていたことが判明した。織田信長は天皇の安土城行幸を計画していた。『信長公記』によれば安土城天主の近くに「一天の君・万乗の主の御座御殿」である「御幸の御間」と呼ばれる建物があり、その中に「皇居の間」があったという。本丸御殿がこれに該当すると考えられている。


織田信長墓

二の丸跡 織田信長墓_安土城伝承地

織田信雄家墓地

長谷川秀一邸跡

  • 織田信雄:宇陀松山藩1代
  • 織田高長:宇陀松山藩2代
  • 織田長頼:宇陀松山藩3代
  • 織田信武:宇陀松山藩4代

旧総見寺

近江・総見寺

現総見寺

徳川家康邸跡

その他

  • 牛頭天王:北端にあった。(安土古城図)
  • 天神:西端にあった。(安土古城図)

城下町など

  • 安土・石部神社
  • 新宮神社
  • 活津彦根神社
  • 浄厳院
  • 安土セミナリヨ:1581年(天正9年)イタリア人宣教師オルガンティノが創建。推定地があるが遺構は発見されていない。
  • 沙沙貴神社
  • 常楽寺:沙沙貴神社の神宮寺という。跡地不明。地名のみ残る。
  • 東南寺
  • 八日堂:弁財天を祀る。明智光秀邸跡という。
  • 本願寺御坊:常楽寺地区にあったと推定される。1592年(文禄1年)八幡山城下町に移転。
  • 西光寺:字貞安にあったと推定される。1580年(天正8年)貞安が創建。1586年(天正14年)八幡山城下町近くに移転。織田信長五輪塔がある。
  • 正福寺:跡地不明。玉念が創建。1585年(天正13年)八幡山城下町に移転。

周辺

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%AE%89%E5%9C%9F%E5%9F%8E」より作成

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