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安土城
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2021年5月22日 (土) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
安土城は滋賀県近江八幡市安土町(近江国蒲生郡)にあった織田信長の城。
標高199mの安土山にある。1576年(天正4年)1月17日造営。丹羽長秀を奉行として建設させた。 総見寺も同時に建てられたとされる。 戦後直後までは琵琶湖の内湖で北東西の三方を囲まれていた。 1579年(天正7年)5月、天主閣が竣工。 1582年(天正10年)6月2日、本能寺の変で織田信長自刃。 同年6月15日、安土城焼失。火災の原因は明らかでない。総見寺は焼け残る。 1583年(天正11年)1月、伝承によれば豊臣秀吉が織田秀信に年賀のため訪れ、2月に二の丸跡に信長の太刀・烏帽子・直垂などを埋葬。6月1日に盛大に一周忌を行ったという。 1585年(天正13年)廃城 1854年(安政1年)11月16日、総見寺火災で三重塔と仁王門を残して焼失。 1932年(昭和7年)、総見寺仮本堂を徳川家康邸跡に建立。 1926年(昭和1年)史跡。 1941年(昭和16年)天主と本丸の発掘調査・整備。 1952年(昭和27年)特別史跡。 1960年(昭和35年)から1975年(昭和50年)まで石垣整備。 1983年(昭和58年)400回忌で南面の整備。
目次 |
城内
天主閣
地上6階、地下1階の高さ33mの天主閣があったとされる。中には宝塔があった。 狩野永徳による障壁画で飾られていた。 28m四方の平地が残る。礎石が整然と並ぶ。
本丸御殿
天皇を迎え入れるために建てられたと記録される。 調査では清涼殿に酷似した構造になっていたことが判明した。
織田信長墓
二の丸跡 織田信長墓_安土城伝承地
織田信雄家墓地
長谷川秀一邸跡
- 織田信雄:宇陀松山藩1代
- 織田高長:宇陀松山藩2代
- 織田長頼:宇陀松山藩3代
- 織田信武:宇陀松山藩4代
旧総見寺
現総見寺
徳川家康邸跡