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宝国寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
宝国寺
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'''宝国寺'''(ほうこくじ)は京都下京にあった[[日蓮宗]]寺院。[[洛中法華二十一寺]]の一つ。廃絶。跡地不詳。現在の[[西本願寺]]境内北部あたりか。[[六条門流]]。[[本圀寺]]持珠院が寺名を継いだともいう。 == 歴史 == かつての[[本圀寺]]南門のあたりにあった(『日蓮宗事典』)とも本圀寺の北にあったともいう。山城国内の本圀寺の末寺頭だったという(『日蓮宗事典』)。 「日善」という僧侶が創建したとされるが諸説ある。『日蓮宗事典』によれば、日善は本圀寺5世日伝(1342-1409)の弟子で、1400年(応永7年)~1401年(応永8年)頃に創建という。しかし、日善を[[日朗]]門下の日善(1263-1332、常陸大法寺開山、碑文谷2世)とする資料のほうが多く、1322年(元亨2年)に京都に来て、兄弟弟子の[[妙顕寺]][[日像]](1269-1342)を助けて京都弘通に尽力し、信者から寄進されて宝国寺を創建したという。(『日本仏家人名辞書』など)。 1536年(天文5年)の天文法難の後には本圀寺に併合されたか。本圀寺子院の持珠院が宝国寺の名を継いでいるようだ(政教中正論)。 持珠院は愛媛県西宇和郡伊方町三机乙に移転。 ==組織== ===歴代=== *日善(1263-1332)<>:大法阿闍梨。[[平氏]]。北条義澄の孫。1263年(弘長3年)生。[[日朗]]に学び、若くして常陸大法寺を創建。のち[[碑文谷・法華寺]]2世となる。日朗の死を機に碑文谷の実成寺を建てた。1322年(元亨2年)、京都妙顕寺に赴く。関西の[[日蓮]]の旧跡を巡るが、信者が宝国寺を建てたため止むを得ず滞在。のち碑文谷に帰り1332年(元弘2年/正慶1年)死去。本圀寺勧持院の開山とも。(身延4世の大宝阿闍梨日善とは別人)。(日本仏家人名辞書) [[category:京都府]]
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