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宝山寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年1月26日 (土)

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宝山寺(ほうざんじ)は奈良県生駒市門前町にある真言宗南都仏教本山寺院。本尊は不動明王だが、聖天信仰で知られ、生駒聖天と呼ばれる。開山は仏師としても知られた湛海。真言律宗西大寺派大本山。初名は大聖無動寺。山号は生駒山、都史陀山。

目次

歴史

生駒山は古代からの霊山で、葛城修験の修行場でもあった。 般若窟で役小角空海が修行したという伝説がある。中世までの歴史ははっきりしないが、鎌倉時代の宝瓶塔や1282年(弘安5年)建立の石塔があり、前身寺院が存在した可能性が指摘されている。

実質的な開山である江戸時代の真言僧の湛海は伊勢国安濃郡の出身。江戸永代寺高野山神鳳寺で学び、仏師としても活躍したことが知られる。葛城山で千日不出の木食行をしていた時、満願近くになった時、不動明王の霊示で、生駒山が修行を完成させるのにふさわしい霊場だと知らされた。1678年(延宝6年)10月10日、弟子数人と生駒山に入山。郡山藩家老や住民の寄進で翌年1月、仮本堂を建てた。大聖無動寺と称した。

延宝年間、国学者契沖が儀軌200巻を奉納したという。 1682年(天和2年)、般若窟に弥勒菩薩を安置した。 1686年(貞享3年)、聖天堂を建立。現世利益をもたらす歓喜天(聖天)への信仰が盛んとなり、大阪商人らの心を掴んで参詣者が絶えなかった。 弟子らが建てた聖天信仰の寺院がいくつかある。 1688年(元禄1年)、正式な本堂を建立。 1692年(元禄5年)、宝山寺と改称。 1699年(元禄12年)、東山天皇勅願寺。王子誕生に霊験を示したという。 1701年(元禄14年)、湛海、本尊の五大明王像を造立。

1882年(明治15年)、獅子閣建立。 1918年(大正7年)、生駒ケーブル開通。日本初のケーブルカーという。 1946年(昭和21年)、宝山寺社会事業部(宝山寺福祉事業団)を創設。 (国史大辞典、日本歴史地名大系)

伽藍

  • 本堂:本尊は不動明王。湛海作。1680年(延宝8年)仮本堂建立。1688年(元禄1年)、郡山藩家老の梶一雄や大阪の日下一法らの寄進で正式な本堂を建立。
  • 聖天堂:歓喜天を祀る。本殿は1686年(貞享3年)、大阪の医者谷村昌安の寄進で本堂の裏に建立。1805年(文化2年)、京都の角倉与一の寄進で少し西寄りの現在地に移築し拝殿を増設。1877年(明治10年)現在地に本殿と中拝殿を新築。従来の拝殿も外拝殿として残した。
  • 般若窟:宝山寺発祥の聖地。宝瓶塔や1282年(弘安5年)建立の石塔がある。1682年(天和2年)に弥勒菩薩を祀った。禁足地。
  • 般若窟遥拝所:般若窟の弥勒菩薩の遥拝所。虚空蔵菩薩三宝荒神弁財天役小角烏枢沙摩明王も祀られている。
  • 文殊堂:本尊は文殊菩薩。1978年(昭和53年)3月建立。像は松久朋琳作。
  • 観音堂:本尊は十一面観音。1684年(貞享1年)2月には藁葺の小さな堂が立てられた。1844年(弘化1年)瓦葺の建物に再建。1845年(弘化2年)4月、大阪と堺の信者から観音百体の寄進があり落慶。旧本尊は本堂に移されたとみられる。観音院、常念観音院とも呼ばれた。
  • 多宝塔:本尊は愛染明王。1957年(昭和32年)5月建立。この地には元は旧常楽殿があった。
  • 大師堂:本尊は空海。信者の位牌も祀る。1967年(昭和42年)建立。かつて観音堂と奥の院の中間に大師堂があったが廃絶していた。
  • 常楽殿:本尊は如意輪観音吉祥天女毘沙門天
  • 金剛殿:本尊は不動明王。交通安全祈願殿
  • 朝日宝塔:華麗な装飾を持つ銅製の塔。虚空蔵菩薩大日如来を祀る。1900年(明治33年)11月7日建立。
  • 五社明神:
  • 天神:
  • 奥の院本堂:本尊は不動明王。1705年(宝永2年)2月、京都の信者が寄進して建立。湛海作の不動明王、八大童子など16尊を祀っていた。1853年(嘉永6年)焼失。1856年(安政3年)11月、再建。惣持院と号した。
  • 開山堂:1769年(明和6年)6月建立。光明院から湛海像を移した。1964年(昭和39年)拝所を増設。
  • 光明院:1685年(貞享2年)建立。湛海と院達により同年造立した不動明王と二童子像を祀る。のち湛海像が祀られた。廃絶。不動三尊は1782年(天明2年)、大阪府河内長野市の松林寺護摩堂に移された。
  • 湛海墓:
  • 大黒堂:
  • 経塚:1776年(安永5年)建立。1932年(昭和7年)再興。1978年(昭和53年)堂を建立。1993年(平成5年)整備。生駒山上遊園地駐車場の近くにある。

組織

住職

  • 1湛海(1629-1716)<>:真言律宗の僧。伊勢出身。山田氏。江戸永代寺の周光、東寺の光弁、高野山の頼仙、神鳳寺円忍に学ぶ。粟田神社別当歓喜院を創建。法隆寺北室院、和泉南禅寺(不詳)に住す。宝山寺を創建。仏像彫刻の名匠。仏師としての弟子に清水隆慶(1659-1732)がいる。宝山律師、宝山湛海とも。
  • 2湛清()<>:
  • 3亀海()<>:
  • 4観明()<>:
  • 5叡運()<>:
  • 6光善()<>:
  • 7光実()<>:
  • 8観光()<>:
  • 9恵達()<>:
  • 10澄源()<>:
  • 11一実()<>:
  • 12法英()<>:
  • 13法慶()<>:
  • 14駒岡乗空()<>:著書に『歓喜大天発信抄』[1]
  • 15金春隆範()<>:金春大夫家の出身。この縁で宝山寺には多くの金春流文書が伝わる。
  • 16駒岡慧証()<>:
  • 17駒岡乗円(?-1952)<>:西大寺長老67世。
  • 18松本実道(1904-1999)<1952-1999>:西大寺長老69世。1952年(昭和27年)2月、宝山寺住職。
  • 19大矢実円(1935-)<1999->:西大寺長老71世。松本実道の弟子。高野山大学密教学科卒。1999年(平成11年)、宝山寺貫主・長福寺住職に就任。2007年(平成19年)後七日御修法大阿闍梨を務めた。2008年(平成20年)4月、真言律宗管長・西大寺長老に就任。

(『湛海和尚と生駒宝山寺』ほか)

資料

  • 1813年(文化10年)「生駒山宝山寺縁起」[2]
  • 『宝山湛海律師行状記』
  • 小林剛編1964『宝山湛海伝記史料集成』


  • 野村不石1899「宝山寺湛海律師の伝」『京都美術協会雑誌』79
  • 1956「宝山寺多宝塔の造立について」
  • 1969「宝山寺蔵契沖阿闍梨伝記資料続拾」
  • 1987『古道に残る信仰の文字 宝山寺への道』
  • 佐藤任1988『湛海和尚と生駒宝山寺』
  • 1991「宝山寺蔵弥勒菩薩画像について」
  • 森下等1992『影山を下りず 生駒山中興開山宝山湛海律師の生涯』宝山寺
  • 高橋平明1994「宝山湛海律師関係の仏像彫刻について」
  • 金児曉嗣1997「宝山寺講員の宗教性 商売の神さまに集う人びと」『日本人の宗教性』
  • 1997「宝山湛海の不動信仰と聖天信仰」『日本の美術』378
  • 2001『宝山寺の版木』
  • 東山緑2001『宝山湛海律師 生駒山の生き仏』宝山寺
  • 2002「宝山寺文書と絵図による配置復原と獅子閣の敷地に関する考察」[3](有料)
  • 2004「近代以降における生駒宝山寺の信仰圏 石造物からのアプローチ」
  • 2004「宝山寺の弥勒菩薩画像-現ならぬぞあはれなる」
  • 2010『重要文化財宝山寺獅子閣修理工事報告書』
  • 赤田光男2012「生駒宝山寺湛海の仏舎利信仰」
  • 2014「能楽資料学構築に向けた金春家旧伝般若窟文庫の総合的文書調査」:般若窟文庫は野上記念法政大学能楽研究所にある。
  • 2016「大阪府大阪市四天王寺・奈良県生駒市宝山寺採集絵馬」
  • 佐伯俊源2016「湛海和尚と真言律」
  • 及川祥平2018「信仰体験談にみる生駒聖天信仰」『霊山信仰の地域的展開』
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%AE%9D%E5%B1%B1%E5%AF%BA」より作成

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